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« つぎの選挙――国民の選択肢 | トップページ | 原発推進派のウソ――中野剛志の場合 »

2012年9月 5日 (水)

原発推進派のウソ――藤井聡の場合

 今回は、つぎの記事に対する批判をします。

 藤井聡氏
原発は、議論以前に安全強化すべし

 この人がここで展開している議論は、そう目新しいものではありません。原発の安全性をクルマのそれになぞらえて論じています。
 こう書いただけで、たいていの方には議論の筋道が予想できると思いますが、批判の対象ですから、いちおう簡単にでもご紹介しておきましょう。

 クルマは危険なものである。
 毎年、5000人近い人がクルマに関わる事故で死亡している。
 クルマをすべてなくしてしまえば、そうした事故は起こらないですむ。
 したがって、もし可能ならば、クルマの廃絶は確かに望ましい選択肢である。
 しかし、現在クルマが果たしている役割を考えると、クルマの廃絶はとても現実的とは言えない。
 危険であることを充分承知しながらも、できるだけ安全を図りながらクルマを使用し続けていくしか、われわれに選択肢はない。

 藤井は、結論としてこう書いています。
 「安全運転――それしか無いのだ」

 100%の「安全運転」などあり得ないのは分かっている。しかし、それを承知の上で、できるかぎり「安全運転」していこうという以外に何ができるのか。
 クルマについて言えることが、原発についてもまったく同じように言えるはずだ――これが藤井の議論です。

 クルマについては、できる限りの「安全運転」を心がける以外のことをせずに、日々運転し続けているのが我々なのだから、同じことを原発についても摘要しなければいけないのじゃないか、というわけです。

 藤井のこの議論に、つっこみどころは何点かあります。
 原発に依存し続けることが、クルマを使い続けることと同じ程度に不可避であるかどうかは、大いに議論の余地があります。引き起こす被害の規模がまったく違うものを、同様に論じられるのかも、疑問です。

 しかし、私は議論の余地がない一点を指摘したいと思います。明らかに藤井が間違っているところ、普通に考えてもこんなことを失念するはずもないと考えられるだけに、充分分かっていながら意図的に無視した可能性の高いところです。ひとことで言ってしまえば、藤井聡のついているウソについてです。

 上に書いたように、100%の安全運転なんてあり得ませんから、もし藤井の主張するように「できるだけ安全運転を心がける」しか選択肢がなかったとしたら、私などは恐ろしくて1mだってクルマを走らせる気になれません。
 しかし、現実には月に何㎞もの距離を運転しています。
 なぜ、そんなことが出来るんでしょうか。

 簡単な話ですね。実際にクルマを運転する人で、答えが分からない人なんているでしょうか。だから、藤井はウソを言っていると私は書いています。

 まず、自賠責があります。これは強制加入ですから、選択の余地などありません。
 ただ、自賠責がカバーできる範囲はあまりにも狭いですから、これだけでは公道を走る気にはなれません。いわゆる任意保険という自動車保険に入って、はじめて道路を走ることができるのでした。

 原発の稼働をクルマをアナロジーにして語ろうというなら、このことを無視できないはずです。
 確かにクルマは危険です。その危険なクルマを走らせるのに、われわれは事故が起きないことを神頼みしているだけなわけではありません。あり得る事故に対して、しっかり保険をかけた上でクルマを運転しているのです。

 藤井の議論は、自賠責の制度など必要ないと言っているのと同じです。
 保険も何もかけていないクルマばかりが、国中の道路を走り回っている事態を容認しろと言っているのです。

 クルマの運転と同様に原子力発電所の稼働は危険です。
 原発も、クルマと同様に、あり得る事故に対応できるような“保険”をしっかりかけた上で稼働させるのでなくては、藤井の議論は成り立ちません。

 さて、どこの保険会社が“原発保険”を組んでくれるでしょうか。
 月々の掛け金がいくらならば、契約してくれるでしょうか。
 藤井教授には、そこまできちんと議論していただきたいと希望するものです。

 だいたい、コスト面から原発の維持を支持している諸氏が未だに存在しているのが、私には不思議でなりません。
 そういう輩は、たぶん被害者への補償を踏み倒してしまうことを暗黙のうちに前提としているのでしょう。
 逆に、福島原発の事故が引き起こした被害をしっかり補償するという当然のことを前提にするなら、コストの比較など、完全に決着済みという以外に考えようがないではありませんか。

 おれは絶対に事故を起したりしないから「保険」なんか必要ないんだ、なんて言ってるドライバーがいたら、これはちょっとどうかしていると見なすのが通常です。
 保険もかけず、津波対策も地震対策もいい加減、メンテナンスも最小限、おまけに耐用年数を無視して稼働させ続ける、そんな形で動いている状態で、そのランニング・コストを計算するのが妥当でしょうか。

 無保険のクルマで公道を走り回るのは禁じられています。
 整備不良車についても、同様です。
 
 原発ゼロを訴える市民の声を“愚民”のヒステリーに過ぎないと思っている“識者”がいるようですが、大きな間違いでしょう。
 無保険車を公道から排除しようと考えるのは、まったく健全な判断であると私は思います。

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「福島原発」カテゴリの記事

コメント

>嘘ついちゃいけないね。
>現在進行形で、アメリカ原発作ってますよ。


3年前の米に言うのもなんだが

もう米国撤退したな
お前先見性なさ過ぎるだろ

日本の電力10社の発電能力は東日本大震災の前で約2億Kw。
 それに対して、風力だけでも1・9億Kwの発電能力があるということは、既に『脱原発論』で描いている。

 さらに、昨年12月24日の「報道ステーション」では、アメリカの著名な物理学者エイモリー・B・ロビンス博士に取材していたが、博士は1983年以前に既に開発されていた省エネ技術の応用で、コロラド州連邦政府ビルで70%のエネルギー削減、ニューヨーク・エンパイアステートビルでは外観を残して40%のエネルギー削減を実現したと明言。
 米国では2050年の消費エネルギーが現在の半分にまで削減でき、原子力はおろか、石炭・石油もゼロにすることができると結論付けている。

 これからはエネルギー消費量そのものが減っていき、企業もその方が利益が上がり、経済成長につながるようになるのだ。

昨年、この投稿欄で「米国は31年間、新規の原発を1基も建設していません。」と書いてしまいました。「1980年代にはいると新規原発の発注はなくなりました。」と書くべきでした。80年代に建設された原発は、それ以前(スリーマイル島事故)の計画分の残りで、米国では30年間、新規原発の計画がなくなったことは確かです。ウソを書くつもりはなかったのですが、訂正させていただきます。遅くなってすみません。

 「論理が破綻しています」さん、こんにちは。
 コメントいただきありがとうございます。

 ネットの掲示板などで時々みかけるのは、相手をバカとかアホとか決めつけつつ、バカでアホな議論を展開される人です。
 「論理が破綻しています」さんは、さすがにそうした低劣な表現はされていませんね。でも、相手の言い分を「支離滅裂」とか「論理が破綻」とか言ってる人の、たぶん半分くらいは、このバカ・アホの決めつけと本質的に同じなんじゃないかと私は思います。

 バカ・アホの表出形態の一つは「理屈に合わないコトを言いつのる」というもの。
 この場合、まっとうで妥当な理屈も、それを理解できない人にとっては「支離滅裂」に思えてしまうという避けがたい事情があるので、いろいろ困ったことになるのですね。

 私の記事のポイントは、藤井さんがとりこぼしている問題点を提出した、というところにあります。
 私が重要だと考えるその点については、藤井さんは全く言及していないのです。ここが理解できないと、話が始まりません。

 それは、新たな問題点の提出であって「論理のすり替え」などではありません。
 残念ながら「論理の破綻」もありません。

 だいたい、「論理が破綻している」なんていうのは、表現が少々大仰すぎます。
 人間がおかす「間違い」について、私はあれこれ考えたり調べたりしましたが、論理上の間違いというのは、そうそうないんですね。
 「間違い」のよってくる原因で一番多いのは、前提となっている「認識」における「間違い」だということが言えます。

 たとえば、安部晋三の『美しい国へ』を読むと、彼の頭の中にあるアメリカ合州国が、ひたすら真っ白けの「民主国家」であることが分かります。
 彼の視界には、虐殺された先住民も、海の向こうから“拉致”されて奴隷にさせられた人たちも、まったく入っていません。「99%の我ら」を無視して「1%の彼ら」に自分を重ねてしまっています。

 こういう「認識」の安倍晋三だから、ああいう「主張」をしている、という構造です。

 もし、『美しい国へ』の批判を試みようとするならば、この本の中に書いていない現実を突きつけることこそが有効です。

 それを否定して、この本の中に含まれていることだけしか取り上げてはいけないなどと言うのは(それだけでも相当のことは書けると思いますが)、言論というものの本質を全然わかっていない言い分でしかありません。

 藤井さんの議論については、あらためて記事で書いてみようかと思いますので、そちらをご参照ください。

保険のくだりから支離滅裂ですね。

まず藤井氏の主張をまとめるとこうなります。

クルマは100%安全ではない = 原発は100%安全ではない
しかしクルマの廃絶は現実的ではない = 原発の廃絶は現実的ではない
クルマの代替物がない = 原発の代替物が無い
自動車運転の安全強化が必要 = 原発の安全強化が必要

一方、あなたの主張はこう。
「おれは絶対に事故を起したりしないから「保険」なんか必要ないんだ、なんて言ってるドライバーがいたら、これはちょっとどうかしていると見なすのが通常です。」
「藤井の議論は、自賠責の制度など必要ないと言っているのと同じ」

それに対して、藤井氏はすでにこう反論しているのですね。
「安全運転さえ心がけていれば,交通事故のリスクを完璧にゼロにするということは不可能であっても,「無数に考えられるリスクの中でも,クルマだけがとりたてて危ないものというわけではない」という水準にまで,そのリスクを軽減することは可能となる」

つまり、話はここで終わっています。で、あなたが言いたいことって何なの?って感じなんですけどね。

もしあなたがそれでも
「あり得る事故に対応できるような“保険”をしっかりかけた上で稼働させるのでなくては、藤井の議論は成り立ちません。」といった愚劣な論理のすり替えを行うなら、僕だったらこう返すな。

「え?じゃあクルマは自賠責保険だけでも公道走れるけど、そんな完璧な保険だったの?車両損壊の補填だけでなく、命も返ってくるんだ。すげーw」と。

>山崎隆敏さん

嘘ついちゃいけないね。
現在進行形で、アメリカ原発作ってますよ。

バイオマス燃焼後の廃棄物は肥料になります。分散型施設であれば、運送などの経費もほとんど無用です。
私は、先日、脱原発は非現実的と主張する福井大学学長や電力会社労組の幹部たちとのある会合で、「私は今日は、反対派としてではなく、むしろ推進派の貴方たちの立場に立って提案します。それは、原発サイトのプールにためこまれている使用済み核燃料の行き場がないという問題については、あなたたちも、このままでは若狭の原発群は2030年後どころか数年先には運転ができなくなるということで苦慮されているはずです。西川知事は、福井の使用済み核燃料は関西圏で引き取ってほしいと述べたところ、生駒市長など複数の首長が引き受けると応じましたが、すぐに勘弁してほしいとわびてきました。こんなものを引き取るなどといったら、首長の首が飛びますよね。2030年後どころか、数年後に直面するこの忌まわしい現実から出発して私との対話・議論を進めようではありませんか」と述べました。残念ながら、彼らは何も言わず、対話にはなりませんでした。
それから、米国は31年間、新規の原発を1基も建設していません。原発の建設コストの増加がその大きな理由です。
米国では30年後の今日も、ブッシュ2世が、電力会社の借金の9割を債務保証で肩代わりする条件をつけても、原発の新規建設は進みません。原発の電気が高くつくことは誰でも知っていることです。
そして、32年前にカーター大統領が、パーパ法を成立させたことにより、電力会社は原発への関心を失いました。パーパ法は、スリーマイル島事故の前年。まるで事故を予見でもしていたかのように、「政治のリーダーシップ」で法案を可決。一方、日本ではフクシマがあってようやく新エネ法案が成立。

それならば、原発をいかに安全に稼働させるか?をまず考えるのが建設的議論と言うものじゃありませんか?
ついでに、自然エネルギーが原発コストよりも実質的に見て安いと考えておられているかもしれませんが、バイオマスにしたって燃焼後の廃棄物処理の経費なんか計算に入れてませんよね。
自然ネルギーが原発よりも低コストだという事柄も疑わしいですよ。

また、原発を単なる発電設備だと思っているからそういった物言いになるんではないですかね。
原発を失うことによる、電力不安定化のリスク=損失、外交における自国の優位性における損失・・・その他、原発(技術も)失うことでの損失を考えれば、馬鹿みたいに原発をバッシングしている事自体が幼稚な議論に見えてしまいます。

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