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« 四島返還論の出自――引き続き「北方領土」問題 | トップページ | 「北方領土」問題の正解(1)――日本の領有権主張は? »

2012年9月21日 (金)

「北方領土」問題の正解(2)――千島列島の範囲

 論点に戻ります。
 「北方領土」問題の核心についてです。

 千島列島の範囲については、過去、和田春樹と伊藤憲一の間に論争がありました。

1 和田春樹
 『世界』1986年12月号「『北方領土』問題についての考察」
2 伊藤憲一(青山学院大学教授)
 『諸君』1987年2月号「北方領土『二島返還論』を疑う」
3 和田春樹
 『世界』1987年5月号「千島列島の範囲について」

 このころ、それまでの「四島返還論」に対する異論が、いくつか重ねて出始めていました。和田春樹以外に、中島嶺雄、大前研一、司馬遼太郎の諸氏が持論を展開しています。

 上に掲げた両氏について言うと、まず(特に伊藤を意識したわけではない)1が発表され、それに対する批判として2が出された。2への反論が3という流れです。

 伊藤は、こう書いています。

『諸君』1987年2月号 30~31頁
和田さんは国際法をご存じないようで、日露両国の国内の文書を得とくとして引用なさっておられますが、領土問題については、じつは国内的な文書は引用価値はないのです。あくまでも引用根拠たりうるのは、国際間の文書、それも直接当事国間の合意文だけです。

 上記に続けて、伊藤は自らの「四島返還論」――つまり、択捉・国後が千島列島には含まれないという主張――の根拠をつぎのように説明しています。

同書 31頁
その意味では、日露間では一八七五年の樺太千島交換条約が決定的な重要性をもってくるのです。そして同条約が千島列島をどのように定義していたかといいますと、同条約の第二条は「『クリル群島』即ち第一『シュムシュ』島第二『アライド』島――中略――第十七『チェルポイ』並ニ『ブラット、チェルポエフ』島第十八『ウルップ』島共計十八島」と「クリル群島」の範囲を十八島に限る旨を、日露間の正式な合意として明確に定義しています。念のため、一八五五年の日露通好条約の定義もみてみますと、同条約の第二条は「『ウルップ』全島夫より北の方『クリル諸島』」となっており、これまた明快に「クリル」諸島とは「ウルップ以北」なんだ」ということについて、日露間で合意しております。

 長い引用になりましたが、伊藤による上の主張は実は「政府見解」と同じなんですね。
 外務省が採用した理論武装をそのままなぞっていたのでした。

 前年の国会質疑を見ると、なんだか不思議な気持ちもします。
 伊藤は、公衆の面前で“論破”されるべく登場した感があります。しかし、その辺の事情は後日までの課題としておきましょう。

 伊藤の批判に対して、和田春樹は『世界』1987年5月号で反論しています。この文章は、後になって『北方領土問題を考える』(岩波書店 1990)に、前書をつけて収録されましたので、雑誌のバックナンバーを参照するまでもなく、読むことができます。

 和田の反論の趣旨は以下のようなものです。

  • 「当事国間の合意文書」としての条約において、議論の根拠にできるのはその「正文」である
  • 伊藤が挙げた「樺太千島交換条約」においては正文はフランス語とされている。よって、このフランス語条文にどう書かれているのかを問わなければならない
  • 伊藤が典拠としているのは、日本語の「訳文」に過ぎない
  • このフランス語「正文」においても、ロシア語「訳文」においても、伊藤が引用する部分は、日本語「訳文」とは異っている
  • 「正文」においても、ロシア語「訳文」においても、十八の島は「クリル列島」のうちの“ロシアが領有していた部分”として列挙されている
  • つまり、日本語「訳文」は誤訳であり、誤訳にもとづいては、外交交渉はできない

 「樺太千島交換条約」については、こういうことを言う人もいます。

 この条約は、いわゆる「北千島」と樺太を交換した条約で、もともと日本の領土であった択捉以南の島はその対象になっていない。「樺太」と「北千島」との交換を名づけて、「樺太千島交換」と称しているのだから、「北千島=千島」だと言える。

 これは、単純に間違っています。
 条約には実はタイトルはなくて「樺太千島交換条約」というのは、日本における通称に過ぎないのでした。
 この条約は日本が「損をした」と受けとめられる可能性もあったので、そこを乗りきるために意図的にそうした通称を広めたのが事実のようです。後の「日比谷焼き討ち事件」のような騒ぎが起こるのを防ぐために、千島全島と樺太との交換だったような錯覚を期待したのですね。

 「日露通好条約」についても、和田は伊藤の説明を否定しました。
 これも日本文に間違いがあることが明白で、それを典拠にはできないのです。そもそも伊藤の引用した文では、クリル諸島以外にウルップ島があり、また択捉・国後があることになってしまいます。
 和田の反論は精緻をきわめたものなので、引用しても要約してもやたら長くなりそうなので、詳細はリンク先のホームページを参照していただくことにします。

北方領土問題 5.国後・択捉は千島? クリルアイランズ?

 和田春樹の反論「千島列島の範囲について」に対して、伊藤憲一は何ら有効な再反論ができず、その後まったく沈黙してしまいました。

 また、外務省が出している『われらが北方領土』においても、この論争の後、日露通好条約第二条への言及が削除されるなど、条約を根拠とする主張がトーンダウンしています。

 最新版の記述を引用してみましょう。

『われらが北方領土』2011年版 6-7頁
また、一八七五年には、我が国は千島列島をロシアから譲り受けるかわりに、ロシアに
対して樺太全島を放棄することに決定し、ロシアと樺太千島交換条約を結びました。この
条約の第二条には、日本がロシアから譲り受ける島としてシュムシュ島からウルップ島ま
での十八の島々の名を列挙しています。

 記述の論理の欺瞞性は明らかです。
 「我が国は千島列島をロシアから譲り受けるかわりに」というのは、明治政府と同じ嘘っぱちになっているところが面白い。譲り受けたのは「北千島」です。「千島列島」ではありません。
 「北千島」を勝手に「千島列島」と言い換えてしまい、「第二条」で列挙されている18の島が「千島列島」の具体的な中身だと言うのです。

 ソ連に日本の主張を伝えるために送った文書の中では、上記の二つの条約は、わざわざ日本語「訳文」をロシア語に翻訳したものを使用したそうです。
 そんなことをしなくても、向こうにはフランス語やオランダ語の条文と一緒にロシア語の条約文があるのですから、外務省はいったい何をやっていたのか。
 日本語訳文のそのまた訳文を使わなくては、成立しないような主張をしているということなのです。

 ここまで書いてきて、本質的な議論で肝心なところはだいたいお話しできたかと思います。あと少し、いくつか気になっているところを指摘して終わりにしましょう。

 「北方領土」問題が、ここまで長引いているのは、米国の思惑もさることながら、官僚の頑迷固陋が作用していると私は考えます。

 そのひとつとして――
 北方領土返還運動は、税金で賄われています。北方領土問題対策協会は独立行政法人です。最近ハヤリの言葉を使えば「シロアリ」の一種です。北方にも生息できる種類のしぶといシロアリなのでしょう。
 このシロアリとその周辺に巣食うグループが、国民の利益など見向きもせずに、自らの利権維持に努めていることが、問題をこじらせています。

 旧島民の方たちが、必ずしも「四島返還」を支持しているわけでもありません。
 最近は二島先行返還を許容する人が増えています(『読売新聞』二〇〇一年五月八日)。

岩下明裕『北方領土問題』P.224
 日本経済新聞が二〇〇〇年九月に実施した調査によれば、二島のみの早期返還を望むものが三四パーセントとなり、四島返還の三二・一パーセントを二ポイント上回った(『日本経済新聞』二〇〇〇年九月二十一日)。加えて、二六パーセントが日本は「領土問題」
に固執すべきではないと答えている。

 インターネットをとおして、限られた範囲でしょうが、国民の意識をかいま見ることもできます。

ネット世論調査

断固、四島返還  56.48%
現実的に二島返還 37.26%
現状のままがよい  3.13%
わからない     3.13%

 外務省による執拗な“洗脳”工作があるにも関わらず、これだけの数字が出ているわけです。

 「北方領土問題」について、比較的若い研究者が発言をし始めています。
 岩下明裕の『北方領土問題』(中公新書 2005年)があります。
 岩下は、この本で第6回大佛次郎論壇賞を授賞しています。本の副題は「4でも0でも、2でもなく」とあります。
 この人は、現在「北海道大学スラブ研究センター教授」ですから、人脈としてはいちおう和田春樹の論敵で4島返還論を主張する木村汎の後継ですが、「千島列島の範囲」については、和田の主張が明らかに正しいと言っているそうです。

 親米右翼というのがインチキだとは、よく言われます。
 「カイロ宣言」やら「大西洋憲章」の「領土不拡大」の原則を持ち出して、ソ連の「北方領土」占領を非難する人たちがいますが、私は大きな違和感を覚えます。
 「領土的たるとその他を問わず、いかなる拡大も求めない」というのが大西洋憲章です。

 戦争前と比べて戦後にはどうなっていたか、の問題ですね。
 戦前、日本に米国の基地なんかありましたか。米軍の基地は、実質的に日本の中の米国領土です。仮りに領土そのものでないとしても、上の「その他」であることは否定できないはずです。

 北方領土の総面積は「5,036km2」です。
 対するに、米軍基地の総面積は、専用基地に限っても「308,614km2」、共同の使用可能な基地なら「1,011,359km2」になるのです。
 前者で60倍以上、後者なら200倍以上になります。

 戦前にはなかったものが、戦争が終わってみたらこれだけ存在するのです。
 60分の1に対するこだわりが、どれほど不自然なものか、しっかり認識する必要があると私は思います。

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コメント

米軍基地は本来的に日本の主権が及ぶ範囲を貸し出しているだけなので、全く性質が異なります。
南千島ついては、そもそもサンフランシスコ条約にロシアは調印していません。
それゆえ、日本はロシアに対しては千島を放棄しておらず、そうすると、択捉、国後をロシアに譲ったことはないことになります。そうであれば、当然、日本領でしょう。

やはりトラックバックが通らないので、コメントで通知します。

再び北方領土問題を考える(下) とるべき方策

http://blog.goo.ne.jp/GB3616125/e/c4745275ac7bf5ed3723dad96093600f

トラックバックが通らないので、コメントで通知します。

再び北方領土問題を考える(中) 千島列島の範囲をめぐる議論について

http://blog.goo.ne.jp/GB3616125/e/65ae6c633bdc3f078919a7bab9c56040

 わざわざ「予告」のコメントをいただき、ありがとうございます。
 どうか、存分にご研究ください。

 木村汎『日露国境交渉史』(1993年 中公新書)に私は触れませんでしたが、自分の主張に不利になるのを危惧して隠していたわけではありません。「四島返還論」の決定的な弱点は、「北方領土」問題が形成されていく歴史に対してまるで無頓着なところです。そのため、この本は私には殆ど参考になりませんでした。

 実際、歴史を探っていくと「四島返還論」を維持できなくなるので、「無頓着」以外の選択肢がないのが事実なんですが――。

 木村さんの本では89頁以下で「ブレイクスリー文書」に触れている部分がわずかに興味深かったばかりでした。

 いちおう「四島返還論」の側の文献ということで、ご紹介しておきます。
 ただ、肝心なところで途方もない詭弁があったりするので、「こんなインチキまでやらないと擁護できない『四島返還論』は、やっぱり駄目か」ということになり、これも「二島返還論」側の文献と言えてしまうかもしれません。

一連の記事を拝読しました。
言及のあったいくつかの文献に当たってみた上で、反論、あるいは弁明、ないしは論評を試みたいと思います。
入手と読了に時間を要しますので、今しばらくお待ちください。

和田-伊藤論争については、昔々読みました。
これは、おっしゃるように和田説が正しいのだろうと私も考えています。

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