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« 孫崎享著『戦後史の正体』――「あり得ない」謀略説? | トップページ | 『戦後史の正体』――「陰謀論」ではなく「謀略」説 »

2012年10月11日 (木)

『戦後史の正体』――「自主独立」と「対米追随」

 いわゆる吉田ドクトリンの記憶が、いつまでもしつこく残っています。
 そのパラダイムの中では、「自主独立」は「改憲・再軍備」と「対米追随」は「軽軍備」とセットになっています。
 このパターンは、現実としては既に久しく無効になっているのですが、相変らずそんなパラダイムにとらわれた言説が流通し続けているようです。

 孫崎享の『戦後史の正体』は、20万部を越えるベストセラーになり、多くの人の支持を得ている一方で、否定的な評価をする議論もあちこちで眼にします。
 それらの議論に対する疑問の一つは、この本が何故これだけ広い支持を得ているのかを説明できていないのではないかということです。
 結局のところ、そうした否定論には共通した錯覚があるのではないかと私は考えます。

 ひとつには、多くの読者は「自主独立」も「対米追随」も、現在われわれを取りまく現実を参照しながら、ごく素直に受け取っているのではないか、ということ。
 それに対して、否定論者はいまだに冒頭に書いたようなパラダイムにとらわれているのではないか、と思うのです。

 自分たちのことは自分たちが判断する、当たり前のことです。それが「自主独立」でしょう。認識と判断をあなた任せにしないという、それだけのことです。改憲も軍備も、ペアにする必要のない、これとは別の問題です。
(ちなみに、孫崎自身も読者と同じように「自主独立」も「対米追随」も、ごく当たり前の、現実に対応した言葉として使用していると私は思うわけです)

 歴史的な文脈で言えば、「自主独立」は「改憲・再軍備」を目指した岸信介の路線、「対米追随」は「軽軍備・安保依存」を是とした吉田茂の路線を意味するでしょうか。

 岸は開戦時の東条内閣の閣僚で、また満州国の経営にたずさわった人間ですから、戦前・旧体制を引きずっていると見なすこともできます。いわゆる安保闘争が、あれだけ盛り上ったのは、この戦前イメージが少なからず関係していたと考え得るのですね。
 警職法を改訂しようとした首相、国会運営にも強権的な姿勢が見える昭和の妖怪が、日本をまた戦前の悪夢に引きずり込もうとしているのではないか――そんな危機感を人々が抱いた可能性があるわけです。

 しかし、孫崎が「自主独立」派としている別の一人、鳩山一郎は、戦時中は軍と対立した自由主義者です。再軍備といっても軍国主義の復活を意図したわけではありません。米国の占領体制からの自立を図るためには、日本が自身の軍を持つのは当然だと考えたわけです。

 話をややこしくして申し訳ないのですが、実は、
 岸信介 も 吉田茂 も 鳩山一郎 も 重光葵 も 池田勇人 も
 みーんな「親米」なのですね。

 岸信介は、心の底では米国が大嫌いだったかも知れません。
 マッカーサー嫌いは公言していて、米国に行ったときには同じホテルに投宿したときも表敬訪問などしなかったと吐き捨てています。
 しかし、米国以上にソ連を憎んでいたこともあり、米国とは好き嫌いに関わりなく付き合っていかざるを得なかったので、政治姿勢としては「親米」でした。

 要するに、好き嫌いの話ではなく「路線」の問題なのだという当たり前のことを申し上げています。

 そういう視点からすると、孫崎による吉田の描き方は少々アン・フェアなところもあります。
 まあ、普段から記者など日本人に対して尊大な態度があったのに比べて――という捉え方は可能です。しかし、吉田茂の政策を批判するのに何の遠慮も必要ないでしょうが、裏口からコソコソと出入していたというような行動を云々するのは、ちょっと意地悪だという気がします。
 孫崎は、以前の著書の中では、吉田に対してもっと寛容でしたので、こんな風に厳しくなったのはどうしてだろうと、私は気になったりするのでした。

(ついでに言えば、岸信介を失脚させられた政治家にしなければならない必然性というのは何だろう、とも考えています。私自身は、孫崎の解釈の妥当性については、いまのところ「分からない」という立場です。それで別に何にも困らないのですが、「岸信介の評価=安部晋三の評価」と勝手に勘違いして向かっ腹を立てている人もいるようなのは、困ったものです)

 吉田の評価は、結局のところ答えの出しようがない次の疑問にかかっているのではないでしょうか。

 吉田は、もっと頑張れば、もっとマシな結果を得られたのに、そうしなかったのか

 評価の仕方はいろいろ可能ですが、吉田茂もそれなりに日本のあり方を模索した結果として、あのような選択をしたのだと考えることは十分に可能だと私は思います。
 「自主独立」と「対米追随」という二つの路線は(たら・ればの話になりますし、実際に起きたことしか言えないのですから)どちらかが絶対に間違っているというものではないでしょう。
 それぞれに筋はとおっていると考え得るのです。

 しかしながら、この路線が現在において持つ意味は全然ちがいます。
 非常にねじれた、といったらいいのでしょうか、歪んだ構造が支配するようになっていると私は思うのです。

 それぞれに筋がとおっている、と書きました。
 筋がとおらなくなるのは、二つの路線がクロスオーバーしてしまったからです。
 安部晋三の「改憲」は「自主独立」ではないのです。

 こういうことです。
 「自主独立」であるならば、改憲して軍隊を持ったとしても、軍事力の運用に当たっては、自らの国益に沿った判断が出来ますから“安全”です。
 また、「対米追随」であっても、改憲を拒否し、憲法の規定を守るのであれば、地球の裏側まで軍隊を派遣することもないので“安全”です。

 これが、「対米追随」+「改憲」だったらどうなるでしょう。
 憲法の枷がはずれ、自衛隊は集団的自衛権の行使と称して、地の果てまで米軍のケツに付いていかなければなりません。米軍は、その地域の人たちにとっては「侵略者」以外の何ものでもない。正規軍であれ、ゲリラであれ、粘り強く抵抗するでしょう。自衛隊は、その巻き添えにならざるを得ないわけです。

 お分かりでしょうが、安倍晋三の「改憲」は「対米追随」派のそれなのです。
 彼は「押しつけ憲法」を云々しています。しかし、実際に「押しつけ」の最たるものはなんだったでしょうか。
 講和とセットで強要された「安保条約」こそが「押しつけ」そのものではありませんか。

 安部晋三は、はっきりと言っています。現在の安保条約を変更する必要はない、と。
 「押しつけ憲法」を拒否するというのなら、「押しつけ安保条約」も同様に拒否するべきなのにです。
 それがまったく念頭にない安倍は、「自主独立」の「改憲」ではなくて、「対米追随」の「改憲」だということを見きわめなければいけません。

 日米安保条約は、どう言いつくろおうと冷戦を前提にして作られたものです。
 1989年に冷戦が終わった時点で、既にその使命を終えているわけです。これは、私の独断ではなくて、そうでなければ「日米同盟の再定義」などが必要になるはずがありません。

 ともかく、無理な理屈をひねり出したのが1996年の「日米安全保障共同宣言-21世紀に向けての同盟」でした。
 また、これは2005年の「日米同盟:未来のための変革と再編」に至って、さらに明確になります。
 日米安保は、日本の防衛の話などではなくなってしまったのです。世界中のどこにでも戦争しに行く米国に同行する日本が求められているのが現在の「日米同盟」なのです。

 そんな訳で、憲法改定をいかにも日本の国内問題であるかのように語り、戦後レジュームからの脱却を謳うデマゴーグにダマされてはいけません。

 いま米国が進めているのは、日米の指揮系統の一体化です。
 独自の情勢認識を持ち、自らの行動を判断・決定していくことを「自主独立」といいます。こんにちの「対米追随」は、非常に危険なものなのです。

 1955年、ジョン・フォスター・ダレスは訪米した重光外相にこう言いました。
 安保条約を改定したいのであれば、日本は憲法を改正して集団的自衛権を行使できるようにする必要がある、と。

 私が言いたいのは、ちょうど逆です。
 日本が集団的自衛権を行使できるようにするためには、安保条約を改定(乃至破棄)する必要がある、と。

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コメント

私もそのときの総理大臣は、それぞれ頑張ったのだと思います。

ただ、どれだけ頑張ったか人によって、傾向が違うのでしょう。

アメリカは戦勝国として、そして同盟国として無視できない相手というのは事実だと思います。

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