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2012年7月15日 - 2012年7月21日

2012年7月17日 (火)

『私の「闇の奥」』電子書籍版

 リンクがおかしくなっていましたので、改めてアップしておきます。

 藤永茂さんのブログを電子書籍にまとめました。
 2006年の最初から2012年4月4日まで、すべての記事が収録されています。充実した内容を、目次付きで読むことができます。

 ブログにアクセスすれば、いつでも読める記事ですが、まとめて読み直そうと思うと、バックナンバーから逆順にたどっていかなければなりません。この手間がけっこうたいへんです。

 付加価値としては、オリジナルにはない「参考文献」のページがあります。これは、記事の中でこれまで言及されてきた文献を「著者アルファベット順」「著者アイウエオ順」でまとめたものです。書誌的な情報やURLを追加して、実際に参照する助けになるようにしてあります。

 リンクを下に付けておきます。
 海賊版ではありません。藤永さんのブログの右上に並んでいるものと同じリンクです。 どちらからでも、たどってみてください。

『私の闇の奥』kindle/mobi版
『私の闇の奥』PDF版
『私の闇の奥』ePUB 版

大阪維新の会は「脱原発・依存」

 ただの言葉遊びではありません。
 彼らのいわゆる「維新八策」のうちに「脱原発依存」の文字が見られます。これは、「脱原発・依存」とも「脱・原発依存」とも読め、またどちらであるのかは必ずしも明らかにされていないのです。

 そもそも、「脱原発」なり「脱・原発依存」を希求する熱い言葉など橋下から聞いたことがありません。
 橋下がなぜ再稼働容認に到ったか、その理由があれこれ取り沙汰されていますが、私はむしろ橋下がなぜ再稼働に反対していたのか、その理由を聞きたいと思います。
 自ら主体的に選び取った「反原発」の姿勢など、カケラもないではありませんか。

 彼ら・大阪維新の会のスローガンは、「脱原発」を推進しようとする市民の願いに“便乗”し、その勢いに“依存”して自らの党勢を伸ばそうということだと、私は素直に思います。つまり、彼らの「脱原発依存」は「脱原発・依存」を意味しているのです。

 そうした観点に立ったとき、はじめて再稼働をめぐる茶番劇が理解できます。

 民主党政権を批判する者としての自らのイメージを印象づけようとしたのが、最初に「再稼働反対」を表明していた理由です。
 また、途中で「期間限定」の再稼働ということを――唐突に――言い出したのは、この看板を下ろすための下準備です。
 唐突であったのは、橋下が表明していた「再稼働反対」の論理からは「期間限定」などという選択肢が出てくる余地があり得なかったからでした。また、それは橋下にとっての「再稼働反対」が、ただのポーズだからこそ可能だったわけです。

 だいたい、夏の電力不足については、去年の段階から分かっていたことです。その事態を回避するために1年以上の間、なにをしていたというのでしょう。

 政府の方では、関西広域連合が再稼働を容認したという認識を示しており、期間限定の原発再稼働だなどとは全く言っていません。
 夏が終わっても、政府が予定どおりにそのまま稼働を継続させることは、既にわかりきっています。橋下自身もそれは充分承知しているわけですが、秋になったら「約束が違う」「私は容認していない」と文句をつけることでありましょう。

 原発を稼働させて関西財界の希望に応え、その責任については民主党政権に負わせようという腹です。この期に及んで、「脱原発」のポーズも維持できると踏んでいるのですが、これは考えが相当あますぎるのではないか、国民をバカにしすぎているのではないかと私は思います。

 原発依存を脱却するためには、再生可能エネルギーの開発など、具体的にやっていかなければならないことがあります。単なる言論人ではなく行政の側にいるものとして、当然必要な施策です。こうした方向への具体的な推進なしで、ポーズだけが可能だと思っているのでしょうか。

 橋下にとっては、原発は利用すべきイシューに過ぎません。民主党に得点を挙げさせてはいけない、自民党にも得点を挙げさせない、そういう方針が見え見えです。

 達成すべき目標があれば、それを実現するためにどうしたらいいかという観点からとるべき行動を考えていくはずです。その場合、実現に資するのなら他の勢力と協力していくことも当然あり得るでしょうし、その協力の過程で相手が名を挙げる可能性があっても、なんの問題もありません。

 民主や自民の他党が悪い印象を持たれるようになること、それに対して大阪維新の会という自分たちの勢力だけが良い印象を持ってもらえること、そういう権勢欲しかないゆえの行動だと見れば、すべてが腑に落ちます。

 そういう意味からいうと、原発が再稼働しようとしまいと、それ自体は橋下にとってはどうでもよかったのです。
 彼の言動から、問題に向かい合う切実感などまるで感じられなかったのは、そのためです。

 最後は、ただの口先だけのツジツマ合わせです。
 「停電のリスクにおじけづいた」「原発事故の危険性より、目の前のリスクに腰が引けた」とかとか。
 笑わせないでほしい。
 では、再稼働を容認しないと言っていた時点では、いまだそのことに気がついていなかったのか。
 もし実際にそうだというなら、よほどの低能です。危なっかしくてとても市政など任せてはいられないほどの低能だと言わざるを得ません。

 最近、どうもこんなのばかりです。
 いわゆる「新自由主義」の走狗。松下政経塾出身の議員といい、この橋下といい、バカのひとつおぼえが「民営化」。
 大前研一の「平成維新の会」を見事「全員落選」させた日本人、石原慎太郎都知事候補を賢明にも落選させた日本人は、どこへいったのか、と言いたくなります。

 次回は、フラット・タックスとやらについて、考えてみたいと思います。

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