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2012年9月2日 - 2012年9月8日

2012年9月 8日 (土)

「核廃棄物の処理技術は既に存在する」?

 中野剛志さんによれば、処理技術は「ある」のだそうです。
 (前々回のブログ記事をご参照ください)
 それに対して私は、フランスとフィンランドなどの事情について言及しながら、批判いたしました。

(コメントが寄せられて、お前はフランス(?)もスペインも知らないのかとのことでしたが、スペインの事情はこんな感じです)

 スペインでは
「原発を超えてゆく再生可能エネルギー」スペインの実

 さて、本当に“技術”が存在するのであれば、原発反対派の「トイレのないマンション」論など事実によって、とっくのムカシに葬むりさられているはずなのですが――実際はどうなっているのでしょうか。

 再処理工場の六ヶ所村では、とても受けきれない。
 希望の星たる「ガラス固化」は失敗続き。
 原発の敷地内に貯蔵された廃棄物は満杯状態。

 処理場の立地がままならないと言う人たちがいます。
 反原発の“左翼”が邪魔をするから、なかなか受け入れ体制がまとまらない、とか。
 ウソもいい加減にしてもらいたいですね。
 これまでの反原発運動にそんな力があったら、この狭い日本に54基も原発があるわけがないでしょう。

 頬を札びらではたくような真似を続けながら、原発は作られてきたのではありませんか。
 既に福島で事故が起こってしまったこれからはそう簡単にはいかないでしょう。
 しかし、事故以前の話です。既に“技術”があって、札びらの用意がいくらでもあって、なぜ処理場が全然つくられてこなかったのか。

 地震大国の日本で地下深く穴を掘っても、安全などとうてい期待できないということです。
 ついでですから、札びら村の証言者をご紹介しておきます。
 一見の価値は間違いなくあると思いますので、ぜひご参照ください。

 斑目春樹氏
大失言!【原発儲かる】原子力安全委員長 【最後は金】2005年班目

藤井教授の「クルマ=原発」アナロジー論

 私は至極単純な話をしています。

 たとえば、こんな感じ。

--------
 原発はものすごく危険そう。
 事故が起きたら大変です。
 住めるところが日本にはなくなってしまうかもしれない。
 今すぐに日本中の原発が爆発し始めるなんて言ってません。
 万が一の話です。
 原発って要するに機械でしょ。
 機械っていうのは、故障するものですよね。
 故障しないように、一生懸命いいものを作るのでしょうけど、
定期的にメンテナンスして、故障の発生を防ごうとする訳ですけど、
でも、絶対に故障しないとは言い切れない。
 万が一ということがあります。
 原発も同じはずです。
 原発が特殊なのは、その万が一になったときの被害がとんでもなく大きいということ。国土の多くが失われるかもしれないし、子々孫々まで被害が残る可能性があるのです。
 藤井さん、事故が起きたらいったいどうしたらいいと思うのですか。
--------

 前回ご紹介した藤井の文章は――特に書かれてはいませんが、訴えの性質から言って――上記のような懸念の存在を前提にして書かれたものです。
 ところが、藤井はこれに対して、こんな具合いに答えているだけだと私は思うのです。

-------
 確かに、絶対ということは言えません。
 原発も事故を起こす可能性はもちろんあります。
 でも、事故を起こすっていうのなら、自動車はどうか。
 年間5000人の人間が実際に死んでいるんですよ。
 自動車を全廃しろなんて、ほとんどの人は言ってません。
 しょうがないからですよ。
 危険なのは充分わかっている。
 だから、安全運転をこころがけなくちゃいけません。
 それ以外にないから、そうやって我々は自動車とつきあっているのです。
 原発と全然同じじゃないですか。
 えっ? 事故が起きたらどうするかって?
 だからぁー。あなた、私の言ってること全然わかろうとしてませんね。
 自動車だって同じだと言っているんです。
 何千人も死んで、危険なのは分かっていても、それ以外に選択肢はないから、我々はできるだけ安全をこころがけながらクルマに乗っているんじゃないですか。
 原発だけを責めて、自動車を責めないなんてズルイですよ。
 原発も自動車も同じなんです。
 一方だけ非難するなんて、ズルイ。
 ズ・ル・イ・よぉー。
-------

 これに対して私は、別に安全の“神だのみ”だけで自動車に乗っている訳じゃないと書いたわけです。
 自賠責や任意保険をかけて、“万が一”への備えをきちんとした上で私たちはクルマを運転しているのです。法律的にも、そうした“備え”を怠った無保険のクルマを運転することは禁じられています。

 原発もしっかり保険をかけた上で稼働するなら話は別ですが、無保険・整備不良車状態で“運を天に任せて”やっていくなんて、とうてい容認できない――それが私の主旨。

 要するに、藤井は事故が起きたらどうしたらいいのかについて、なんにも答えを出していないのです。

 原発を容認するか否定するか、その論点はもちろん一つに限られるわけではありません。
 論点は論点に応じて展開してもらいたいものです。
 保険の話をしているときに「原発をなくしたら核兵器が持てなくなる」と言われても、ちょっとおつき合いしかねるのでした。
 

「反原発は左翼が多い」?

 前回の続きです。
 コメントをいただいていますし、それにお応えするものでもあります。

 さて――
 中野剛志の動画のタイトルは、それ自体が一つのトリックです。
 「脱(反)原発に なぜ左翼が多いのか」。
 これは、“なぜ”を論じているかのように装っていながら、実は立証も何もされていない命題を、論じるまでもない事実であるかのように主張しています。
 一歩さがってそれをあるべき形で表現したらどうなるでしょう。
 「脱(反)原発を言ってる奴らは、たいていが“左翼”だ」となります。

 オリジナルのタイトルでは、京都大学の准教授(当時)が、巷の現象の一つについて、その“なぜ”を解明してみせる、という売り込みになっています。
 それに対して、本来あるべき形になると、准教授だかなんだか知らないけど、もっともらしい顔をしながら、勝手な決めつけをしているわい、という構造になってしまいます。

 前回にも書きましたが、何をもって“左翼”とするのかも明らかになっていないのですから、それが反原発派のほとんどなのかどうかなんて、決められようがありません。

 たとえば、ツィッターで中野を罵倒していた橋本徹は“左翼”なんでしょうか。この人も「脱原発依存」って言っていますけど。
 あれは単なるポーズだから問題外だというのでしょうか。でも、それなら彼以外の反原発はみんな根っからの真摯な反原発なのか。でも、なぜそんなことが分かるのか?

 だいたい“左翼”(サヨク以降の左翼?)ってみんな国家が嫌いなんでしょうか。
 アナーキストというのが、日本語でも「無政府主義者」と訳されていて、国家否定のようですが、彼らは左翼の中では少数派です。

 左翼の多数派、大本命たる共産主義者は、少なくとも一定段階までは国家を大前提にしています。
 また、西欧の社民主義はしっかり与党になって国を運営しているのだけど、これは左翼ではないのでしょうか。
 
 要するに、言ってることに整合性がまるで認められません。
 唯一はっきりしているのは、反原発の主張に対して否定的な印象を与えようとしているという意図だけです。

 別の観点から論じてみましょうか。
 言語の本質は、Aと非Aの区別というところにありますが、中野の主張については二つの側面から対応する非Aを考えることができます。

 いや、だらだらと説明が長くなるのが面倒なので話をはしょっただけなので、実際は単純な話です。
 一方の人たちを“左翼”と規定した中野は、その規定に入らない他方をなんと捉えているのかという問題です。
 “左翼”の反対だから“右翼”? それは違うでしょうね。原発推進派の面々? これも違う。

 左翼=反原発
 残りの大多数=反・反原発
という主張ですから、“左翼”に対応させたがっているのは、右翼とか原子力村住民だとかの少数派であってはなりません。

 中野が言いたいのは、「脱(反)原発を主張しているのは、一部の不逞のヤカラに過ぎない」ということです。 
 “左翼”に対応するものと中野が考えたがっているもの、私が代わりに言ってあげればそれは“良識ある大多数の市民”だということになります。

 しかし、これは明らかに事実に反します。
 民主党政権の行なった「討論型世論調査」によれば、原発ゼロを望んでいる市民が最大多数派です。
 それがあまりにも明らかなので、このウソつき政党は、原発ゼロ推進のポーズをとらなければならないとまで判断するに至っています。
 2050年までに原発ゼロだそうです。そんなマヤカシで国民を騙せると思える、その知能程度が本当に分かりません。だいたい、自分たちで2030年までどうするかという選択肢を示しておいて、なぜ今度は2050年なのか?
 ともかく、少なくとも国民の過半数は「脱(反)原発」なのです。

 繰り返して言います。
 中野が言っているのは、こういうことです。
 「良識のある市民のみなさん、反原発の話なんかをまともに聞いていてはダメですよ。あれは、ちょっと頭のオカシイ“左翼”の連中、日本国民のうちのほんの極く一部の連中が言っているだけなんですよ」

 これは、ほとんど「あいつらは“アカ”なんですよ」と言っているのと変わりません。
 近所のおばあさんか何かが、誰それは“アカ”だから――なんて話していたとしても、“はいはい、そうですね”くらいなものです。
 しかし、国立大学の元准教授が、あいつは“アカ”だ、なんて言っているのを聞いたら、アナクロはともかく、こいつは馬鹿じゃないかと思いませんか?
 それとまったく同じだという話をしたのです。

 石原慎太郎が言っているとしたら、まだ分かります。日比谷焼き討ち事件の暴徒以下の知性しかなさそうな彼なら、いかにも言いそうです。
 しかし、中野という人はもう少しましな知性の持主のようですから、なぜあんな陋劣なことが言えるのか不思議です。

 少なくとも、現在の中野の発言に客観性を期待することは不可能になりました。
 過去の発言に対しても、眉にツバしてよくよく注意する必要があると思います。

2012年9月 6日 (木)

原発推進派のウソ――中野剛志の場合

 今回は、以下の動画です。

 中野剛志氏
脱(反)原発に なぜ左翼が多いのか

 このYoutube動画は、直前に確認した限りで240802のアクセスがあり、高評価1706 低評価715となっています。現在でも、1日250件ほどのペースで参照され続けている動画ですので、このまま放置しておくわけにもいかないと思います。

 いわゆる「トイレのないマンション」論は間違っているという話から始まります。
 核廃棄物を「捨てる場所がない」と言われているけれど、それは違うというのです。

 随分とおかしな言い分です。
 ご自分がためにする議論をしていることをしっかり自覚しているから、こういう表現になってしまうのでしょう(動画をご覧いただけば、確認できます。表情・動作・話し方・そのタイミングなど、すべてがウソをついていることの証拠そのものです)。
 本来ならこう言わなければならないはずでしょう――原発が出す廃棄物を安全に処理することは可能なんです、って。
 捨てるとか捨てないとかの話なんかじゃないはずです。

 しかしながら、核廃棄物を安全に処理するというような、そんな技術は存在していません。だから、それを次の世代、次の次の世代に押しつけようとしているのが現状なのではありませんか。

 中野(以下敬称略)の言葉をたどると、こうです。
 “「捨てる場所がない」と言われていますけど、実は「技術的に可能」なんです。”

 これは、印象の操作です。
 核廃棄物を安全に処理することが「技術的には不可能」だから、それを人のいない場所に隔離しているというのが事実です。
 その隔離作業を表現するのに、「技術的に可能」だというのは言葉の使い方が完全に間違っています。

 確かに、フランスやフィンランドなどでは、地下深くに穴を掘って、そこに廃棄物をためこんでいます。しかし、それは簡単に言ってしまえば“クサイものにフタ”をしているのに過ぎません。処理技術が存在していないので、出来るだけ人に影響を与えないような場所に“隔離”しているというだけのことです。

 実際は“お手上げ”の状態であるのに、それを表現するのに「技術的に可能」という言葉を使うのは、否定的な事態をいかにも肯定的に見せかけようとしているのであって、敗北を勝利と言うのと同じペテンです。

 それだけではありません。
 ヨーロッパと日本とでは、安全のための条件がまったく違います。
 合衆国も同様ですが、ヨーロッパでは地震の心配がほとんどないのに対して、日本は地震大国です。いったい、どこに穴を掘ればいいのでしょうか。核廃棄物を安全に格納しておけるような場所なんか、日本にはありません。

 さて、動画のタイトルです。
 『脱(反)原発に なぜ左翼が多いのか』
 これは、かなり恥ずかしいです。
 エリートさんたちは、悪い奴だと言われるよりも、アホだと言われる方を嫌うものだと思っていましたが……。
 いったい何を根拠に、こんなことが言えるのでしょうか。どんな統計に根拠をおいて、中野は言っているのでしょう。

 中野はきちんと定義していませんし、左翼という言葉にどんな意味があるのか、私にはさっばり分かりません。
 ただの雰囲気で、要するに思考停止状態の中で、彼はこんな言葉を使っているだけです。(私自身は、自分が左翼であるのかないのか、まったく自覚がない一方で、仮りに左翼と呼ばれても痛くもかゆくもありません。相手の知的レベルを疑うだけですから)

 内容のないレッテルはりというやつです。
 目的とするのは、反原発・脱原発を言うような奴らはみんな左翼だ、という決めつけ。
 左翼ではない正しい国民は、決してそんな主張はしない、というデマゴギー。
 それで何を言ったことになるのか、まるで分からない、ただのナンセンスです。

 これは、かなり程度が低いです。
 今どきよくもまあ、こんなことを、はずかしげもなく――というようなアナクロニズムに、私はあきれてしまいます。

 前回の藤井聡、今回の中野剛志は、ともにTPP反対の論陣を張っていて、その限りでは力強い同志とみなせる可能性があるのですが、どうもあまりに見え見えのウソが気になって、その知的誠実に疑いを持ってしまいます。
 同じ不信からでしょうか、ネットでは、中野のTPP反対は実は偽装で、本当は賛成派なのだという見解もチラホラ見られます。

 まあ、自民党がとことん原発推進派であるのは確かなこと。
 動画の視聴者などの方たちが、藤井や中野の言葉にどんな風な仕方で耳を傾けるにせよ、そこから自民党支持に誘導されることなどないようにと祈るばかりです。

2012年9月 5日 (水)

原発推進派のウソ――藤井聡の場合

 今回は、つぎの記事に対する批判をします。

 藤井聡氏
原発は、議論以前に安全強化すべし

 この人がここで展開している議論は、そう目新しいものではありません。原発の安全性をクルマのそれになぞらえて論じています。
 こう書いただけで、たいていの方には議論の筋道が予想できると思いますが、批判の対象ですから、いちおう簡単にでもご紹介しておきましょう。

 クルマは危険なものである。
 毎年、5000人近い人がクルマに関わる事故で死亡している。
 クルマをすべてなくしてしまえば、そうした事故は起こらないですむ。
 したがって、もし可能ならば、クルマの廃絶は確かに望ましい選択肢である。
 しかし、現在クルマが果たしている役割を考えると、クルマの廃絶はとても現実的とは言えない。
 危険であることを充分承知しながらも、できるだけ安全を図りながらクルマを使用し続けていくしか、われわれに選択肢はない。

 藤井は、結論としてこう書いています。
 「安全運転――それしか無いのだ」

 100%の「安全運転」などあり得ないのは分かっている。しかし、それを承知の上で、できるかぎり「安全運転」していこうという以外に何ができるのか。
 クルマについて言えることが、原発についてもまったく同じように言えるはずだ――これが藤井の議論です。

 クルマについては、できる限りの「安全運転」を心がける以外のことをせずに、日々運転し続けているのが我々なのだから、同じことを原発についても摘要しなければいけないのじゃないか、というわけです。

 藤井のこの議論に、つっこみどころは何点かあります。
 原発に依存し続けることが、クルマを使い続けることと同じ程度に不可避であるかどうかは、大いに議論の余地があります。引き起こす被害の規模がまったく違うものを、同様に論じられるのかも、疑問です。

 しかし、私は議論の余地がない一点を指摘したいと思います。明らかに藤井が間違っているところ、普通に考えてもこんなことを失念するはずもないと考えられるだけに、充分分かっていながら意図的に無視した可能性の高いところです。ひとことで言ってしまえば、藤井聡のついているウソについてです。

 上に書いたように、100%の安全運転なんてあり得ませんから、もし藤井の主張するように「できるだけ安全運転を心がける」しか選択肢がなかったとしたら、私などは恐ろしくて1mだってクルマを走らせる気になれません。
 しかし、現実には月に何㎞もの距離を運転しています。
 なぜ、そんなことが出来るんでしょうか。

 簡単な話ですね。実際にクルマを運転する人で、答えが分からない人なんているでしょうか。だから、藤井はウソを言っていると私は書いています。

 まず、自賠責があります。これは強制加入ですから、選択の余地などありません。
 ただ、自賠責がカバーできる範囲はあまりにも狭いですから、これだけでは公道を走る気にはなれません。いわゆる任意保険という自動車保険に入って、はじめて道路を走ることができるのでした。

 原発の稼働をクルマをアナロジーにして語ろうというなら、このことを無視できないはずです。
 確かにクルマは危険です。その危険なクルマを走らせるのに、われわれは事故が起きないことを神頼みしているだけなわけではありません。あり得る事故に対して、しっかり保険をかけた上でクルマを運転しているのです。

 藤井の議論は、自賠責の制度など必要ないと言っているのと同じです。
 保険も何もかけていないクルマばかりが、国中の道路を走り回っている事態を容認しろと言っているのです。

 クルマの運転と同様に原子力発電所の稼働は危険です。
 原発も、クルマと同様に、あり得る事故に対応できるような“保険”をしっかりかけた上で稼働させるのでなくては、藤井の議論は成り立ちません。

 さて、どこの保険会社が“原発保険”を組んでくれるでしょうか。
 月々の掛け金がいくらならば、契約してくれるでしょうか。
 藤井教授には、そこまできちんと議論していただきたいと希望するものです。

 だいたい、コスト面から原発の維持を支持している諸氏が未だに存在しているのが、私には不思議でなりません。
 そういう輩は、たぶん被害者への補償を踏み倒してしまうことを暗黙のうちに前提としているのでしょう。
 逆に、福島原発の事故が引き起こした被害をしっかり補償するという当然のことを前提にするなら、コストの比較など、完全に決着済みという以外に考えようがないではありませんか。

 おれは絶対に事故を起したりしないから「保険」なんか必要ないんだ、なんて言ってるドライバーがいたら、これはちょっとどうかしていると見なすのが通常です。
 保険もかけず、津波対策も地震対策もいい加減、メンテナンスも最小限、おまけに耐用年数を無視して稼働させ続ける、そんな形で動いている状態で、そのランニング・コストを計算するのが妥当でしょうか。

 無保険のクルマで公道を走り回るのは禁じられています。
 整備不良車についても、同様です。
 
 原発ゼロを訴える市民の声を“愚民”のヒステリーに過ぎないと思っている“識者”がいるようですが、大きな間違いでしょう。
 無保険車を公道から排除しようと考えるのは、まったく健全な判断であると私は思います。

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