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2012年9月30日 - 2012年10月6日

2012年10月 4日 (木)

改憲も集団的自衛権も実は「対米追随」そのもの――安倍晋三の場合

 自民党の安倍総裁が、次の衆院選では改憲を争点にすると言っています。

 安倍総裁、憲法改正を争点化の考え 次期衆院選

 この男、前回の職場放棄を“反省”したと街頭演説していましたが、いったい何を“反省”したというのでしょう。相変らず何も分かっていないではありませんか。

安倍氏は、各社世論調査で過半数が憲法改正すべきだと答えていると指摘。

 と、記事は伝えています。
 世論調査が示す数字の信憑性については、今ここで問いません。ただ、はっきりしておきたいのは、「各社世論調査」の結果は、設問に対して国民がそのように答えたというだけのことです。
 今、多くの国民が「憲法改正」を何より重要な問題だと見なしている証拠になどなりようがありません。

 安部晋三は、いま日本の大多数の人が何を求めていると考えているのでしょうか。
 この男の念頭には、国民の願いなど、これっぽっちもないということが分かります。

 改憲の争点化は、本当の争点から国民の目をそらさんがためなのか?
 それならまだマシだ、というくらいのものです。
 まわりが全然見えていない、見ようともしていない、この思いこみ男は“愛国オタク”とでもいうしかない、空しくも倒錯した存在なのでした。

 最近流行している「自主独立」と「対米追随」という言葉を使って考えてみましょう。

 安倍晋三に代表される「憲法改正・集団的自衛権行使」の追求は、一見すると「自主独立」路線の雰囲気をもっています。しかし、これが全部そのまま「対米追随」派の主張であることに気がつかなくてはいけません。

 何より、これは米国自身が――講和条約締結の昔から――日本に求めていることです。
 「米国に押しつけられた憲法だから改正すべきだ」という議論の本音は「米国が望むから改憲すべきだ」であるのですね。

 安部晋三が、街頭演説で言っていました。

尖閣で米軍が攻撃された時に、それを自衛隊が座視していたら「その瞬間に日米同盟は終わるんです」。

 いったい、どこの国がどんな意図を持って米軍への攻撃を選択するのか、安倍はそのプロセスを示すべきです。
 それが出来ないのにも関わらず上のように言うとしたら、国民を欺く明らかなウソをつく詐欺師だと言わなくてはいけません。

 小泉純一郎も以前に同じようなロジックを持ち出してきました。
 日米同盟は双務的でなければならない。米国が日本を守ることを約束しているのに、日本が米国を守ろうとしないのでは、片手落ちではないか、という訳です。

 少し歴史の事実を思い出してみたらどうなのでしょう。
 ベトナムは、米国を攻撃したのか。
 イラクは、アフガニスタンは、リビアは、米国を攻撃したのか。

 国連憲章が想定している戦争は、攻撃されたときに自国を守り反撃し、相手にダメージを与えるというものです。
 しかし、米国の場合は違います。世界中のあちこちへ、頼まれもしないのに出かけて行って攻撃をしかけるのです。
 ここにおいて、集団的自衛権とは、日米両国が双方を守り合う協定などではありません。米国が戦争をしに出かけていくのに、金魚のフンみたいについていって、一緒に戦う――そのために憲法を無視しようとするのが集団的自衛権です。

 たまに攻撃してくる相手と戦うのならまだしも、米国は常時ワールドワイドに戦争をやりに行くのですから、こんなのに付き合わされたら、年がら年じゅう戦争する破目になります。

 なぜ、日本がそんなものに同調する必要があるというのでしょうか。

 尖閣諸島についての安倍の言い分は、さらに悪質です。
 中国との間で、領土問題を「棚上げ」する合意をしたのは、自民党政権の時代です。
 バカの一つ覚えみたいに「日本固有の領土」を繰り返すばかりの、野田や前原に対しては、政権内で引き継いできたこの「合意」についてレクチャーしてあげる立場にあるのが自民党ではありませんか。

 いや、それではあまり買いかぶりが過ぎるのが真実でしょう。
 自民党には、外交の知恵などもともと存在していなかったのに違いありません。何しろ、鈴木宗男だけが、外交に首を突っ込んできた唯一の例外でした。すべて外務省に丸投げしていただけと考えた方がいいようです。

 つまり、安倍や麻生に、民主党の「素人外交」を云々する資格などないのです。

 「大衆」の一番レベルの低い部分に訴えかけ、それに火をつけようとする政治家――これはロクなものじゃありません。

 言い分が、理屈にも何もなっていないのですね。
 米国は、尖閣諸島に関して日本を支持するつもりなどまったくない、これが事実です。
 米国への追随をさらに強くすることが、尖閣諸島問題への処方箋になるなどという主張は、ひたすらナンセンスでしかありません。

 米国は、北朝鮮の核兵器を何故かくも恐れるのか、なぜカダフィのリビアに対するような強引な「介入」が出来ないのか?
 「人工衛星」の発射実験に失敗した北朝鮮には、たとえ核兵器を持っていたとしても、太平洋を越えて米国本土までミサイルを飛ばす能力があるようには見えません。

 本土までは無理だとしても、お隣の韓国まで飛ばすくらいは出来るだろう、と言われています。
 在韓米軍の存在が「人質」になっている、という理論です。

 同様に、沖縄における海兵隊は――その展開能力によってではなくて――そのプレゼンス自体が「核の傘」の保証になっているのだと言われています。
(別に沖縄に限らなくてもよくて、沖縄に基地を置いておきたい米国の思惑を前提にしているので、まあ変な議論ではあります)

 ともかく、日米安保の肝心かなめが、在日米軍という「人質」だとしたら――私の主張ではなくて、アーミテージやらなんやらが言っているのです――民主党の政権であろうとあるまいと、米軍が日本にいる状態に今のところなんの変わりもありません。
 日米関係の揺らぎが尖閣諸島や竹島の問題が出てきた理由だという、安倍や麻生の理屈は筋が通らないのでした。

(続く)

2012年10月 1日 (月)

安部晋三と麻生太郎の「経済対策」

 コメントもいただいたことですし、具体的な話に入ります。

 いくつか前の記事で、三橋貴明氏が自民党から立候補して落選したことに触れました。あまり重要視していなかったため、うろ覚えのままに書いてしまい、記述に誤りがありました。訂正してお詫び申し上げます。

 三橋氏の落選は、自民党が大敗した2009年の衆院選ではなくて、自民党が大勝した2010年の参院選でした。
 自民党自体が大負けしたのだから落選も仕方なかったのだろうと、好意的な解釈をしていたふしがあります。これからは、三橋氏の支持者を過大評価しないよう気をつけたいと思います。

 しかしながら、消費税増税に反対の三橋氏が、なぜ自民党から立候補したのか理解できません。比例区からの立候補でしたから、もうどうしようもないですね。
 「私、三橋を支持してください」というのではなくて「自民党に投票してください」と言ってまわったことになります。
 まあ、比例区・非拘束名簿での落選でしたから、実力で負けたわけです。どうせ負けるなら、スジを通して無所属で負けていればよかったものを、と思います。

 閑話休題(アダシゴトハサテオキ)。
 勝った方の話です。

 そもそも、安部晋三と麻生太郎をコンビで論じるのにどれほどの意味があるのかとも思う一方で、これがそれなりの意味を持つ現実があるという馬鹿馬鹿しさも無視は出来ないのでした。

 9月25日に行なわれた街頭演説の様子をYOUTUBEで確認できます。

 自民党総裁選街頭演説新宿駅西口(1)

 自民党総裁選街頭演説新宿駅西口(2)

 例によって、こみあげてくる嫌悪感に耐えながら、いちおう聞いてみました。
(夕飯の支度をしながら、耳は空いていたので、なんとかその気になった次第)

 安部晋三への支持コールが印象的でしたね。
 他の候補のときは、演説の最初と最後にお座なりの拍手があるくらいでした。話を聞いてもいないという雰囲気。が、安倍晋三への反応は明らかに違いました。
 なぜ、こんな“うらなり”に人気があるのか? 不思議なものです。
 確かに、どうしようもなく嫌みな話し方しか出来ない石破や、軽薄そのものの石原など、人間としてお近づきにはなりたくない輩ばかりなので、比較のしようがないのですが。

 政策の話をしましょう。
 三橋氏を〝経済学オタク〟と私は呼びました。彼に影響を受けた層が、安倍晋三や麻生太郎の政策を云々しています。
 三橋は、政治家がデフレ政策を主張すれば、そのことだけで支持にまわるというような印象です。いや、実際は極端な嫌・韓国を露わにしているように、国権的なメンタリティを持っていて、自民党に通底するものがあるのも確かでしょう。
 これについては、後ほどふれます。まずは、経済政策の方から。

 麻生や安倍はTPPに対しては、どういう方針を持っているでしょうか。

 安倍は、憲法改正・集団的自衛権といったことしか念頭になくて、他は取り巻きから選挙用にレクチュアを受けたことをそのまま繰り返しているだけです。
 そんなわけで、“彼の”経済政策を論じるのは空しいのですが、ともかくいちおう表だっては主張しているわけですので、きちんと反駁しておく必要はあります。

 現在のところ、麻生も安倍もTPPに対しては「慎重派」のスタンスを表明していますね。要するに「参加」して「交渉」せよ、ということです。
 「参加」自体を決して否定していないところがミソです。

 TPPの「協議」に参加して、日本の国益にかなうものにするよう「交渉」するのがベストだと言っています。ただ、民主党政権の政府には交渉能力などない、と批判しています。
 要するに、どうしたらいいのか?

 彼らとしては、早く総選挙をやって、自民党政府がTPPを交渉する形にするのがいいと言いたいのでしょう。しかし、それは「近いうち」の話でした。いつになるのか分からないことを前提にした話など意味がありません。

 それにしても、彼ら自民党が交渉主体になれば、日本を幸せにするようなTPP参加が実現するのでしょうか。
 中野剛志の議論によるまでもなく、「参加+日本に有利な協定へ」という想定にはおおいに無理があります。

 民主党の「原発ゼロ」を本気にする人は、よほどお目出たいノンキ者だけでしょう。
 麻生・安倍のTPP論も同じです。紛らわしい“但し書”に幻惑されることなく、ことの本質だけを見て取れば、彼らの意図は明らかです。
 要するに「参加」するべきだと言っているわけです。
 協議に参加するのか、協定に参加するのか? それは、言葉の綾というものです。
 麻生・安倍は、TPPに「参加」するべきだと言っている、それが本質です。

 その他のあれこれは、国民を欺くための目くらましに過ぎません。
 ずるずると既成事実を積み上げていけば、国民なんかどうにでも丸め込めるとタカをくくっているのです。
 
 (三橋は、消費税増税もTPPも反対なのではなかったか? 一貫性を疑います)

 さて、「デフレ政策」についてです。
 橋本龍太郎が晩年どうだったとか、三橋貴明の口移しのようなことを言う人がいますが、政治家の行動をもっと持続的に見なければ、ときどきの口先の政策など云々しても意味はありません。

 麻生太郎で問題になるのは、総理・総裁になったあとに、2009年でしたか、“私は郵政民営化には反対だった”と発言した、あれです。
 結局、党内から挙がった非難の嵐で、彼は発言を撤回しました。撤回じゃなくてトーンダウンだと言う人がいるかもしれませんが、撤回です。

 ここでも、本質を見誤らないように気をつけましょう。

  • 麻生太郎は、本当は「郵政民営化」に反対だった
  • でも、定見のない腰抜けだったので、反対しなかった
  • 党を出て堂々と反対の論陣をはり「刺客」と真っ向勝負――しなかった
  • 選挙から4年後、またしても「反対だった」と言い出す
  • その時には、政権党の総裁であり、内閣の総理大臣だったのだから、リーダーシップを発揮して、郵政事業をあらまほしき形に変えていけばよかった――のに
  • 結局、腰砕けに終わった

 街頭演説を聞いて、私が思ったのは、
 最近は、安部晋三までがデフレを云々するようになったのか、
 ということでした。

 公共投資をどんどんやり始めれば、日本は元気になるというのでしょうか。
 
 私の子どもの時の空想をいちいち書くつもりはありません。
 しかし、21世紀になっても、日本中に相変らず電柱が存在しているなどとは、とても想像できませんでした。
 失われた20年と言いますが、これまで半世紀以上もの時間を与えられながら、電柱をなくすことすら出来なかったのが自民党政権ではありませんか。

 彼らの口先ばかりの“経済政策”なんて、まともに受け取れるはずもないというのが、私の正直な感覚です。

 長くなったので、次回に続けます。

2012年9月30日 (日)

「領土問題」は私たちとは無関係

 私はいわゆる「日本人」であり、便宜上「日本」という国に所属していることになっています。
 その「日本」という国家が尖閣諸島とやらを自らの「領土」と主張しているようです。
 しかし、だからといって尖閣諸島が「私たちの領土」だなんて言われても、正直なところ全くピンときません。尖閣諸島なんて、私が生きている現実と何の関係もないからです。

 「私たちの領土」というときの「私たち」とは何でしょう。
 「日本人」であるAさんでありBさんでありCさん・・・のことだと思います。
 それなら「私たちの領土」とは、「Aさんの領土」でもあり「Bさんの領土」でもあり、そして「Cさんの領土」でもある・・・ということになるでしょうか。

 つまり、尖閣諸島は「この私の領土」でもあると言えるでしょうか。
 そんなことはあり得ません。
 なぜかと言えば、領有権を主張しているのは「日本」という「国家」であるからです。
 私は文化と伝統を持った「日本」の一部ではありますが、「国家」の一部などではありません。

 安部晋三が言っています。

 自分たちの領土を自分たちの手で守るのは、当然のことではありませんか

 おいおい、ちょっと待ってくれよ。勝手に一緒くたにしないでほしいな。
 それが、私の言い分です。

 領土を守ろうとするのは、軍隊を持った「国家」の行動です。
 私たちは、ふるさとである「日本」の一部ですが、決して「国家」と一体ではありません。

 軍隊は「国家」を守ろうとしますが、国民を守ることなど念頭にありません。
 それは沖縄での悲惨な戦闘を見れば分かりますし、終戦時に満州の関東軍がどんな行動をとったかを見ても明らかです。
 太平洋戦争での終戦工作において、最優先事は「国体の護持」でした。「国体」にこだわっていたために終戦が遅れ、死ななくても済んだ多くの国民が犠牲になりました。
(参考までに、「国体」とは「天皇制体制」のことでした)

 司馬遼太郎が著書の中で書いていたことを私は思い出します。
 本を引っぱり出してくるのが面倒なので、ネット上の記述を引用させてもらいます。

 司馬遼太郎を読む

 終戦の直前、司馬遼太郎は首都決戦に備えるために栃木県佐野の戦車部隊に配属されます。
そして訓練中、上官に対して「首都決戦が起こった場合、戦車部隊が通る街道は首都圏から避難する一般市民や荷物を満載した大八車でごった返すと思われるが、どのようにして通過するのか?」と質問したところ「ひき殺してゆけ」という答えが返ってきた。

 こんなのが本当だというのに、よくもまあ勝手に「自分たちの領土」だなどと言えたものです。

 もう一度はっきりさせておきます。
 尖閣諸島は「自分たちの領土」などではないのです。日本という「国家」の領土に過ぎません。
 安部晋三は、ウソを言って国民を煽動しているのです。

 他人が何をどう考えようと、本来“カラスの勝手”でどうでもいいことなのですが、いわゆるネトウヨの存在は、私にはけっこう不幸な事態に思えてなりません。

 彼らは「国家」と「くに」の違いを理解していないのではないかと思えるのです。

 国家というのは、簡単に言ってしまえば抑圧装置です。
 他方、「くに」は、私たちの“ふるさと”です。お国訛りなどというときの“お国”が国家であるはずもありませんね。文化と伝統のある、私たちの生活空間が「くに」です。コミュニティとしての実体が「くに」であり、政権がどう変わろうと、こちらは変わりがありません。
 ちなみに、文化と伝統は必ずしも皇室などとは関係がないということに注意を喚起しておきます。

 自分たちの“くに”が傷んでいる、ということへの危機感の表明が“反原発”デモです。
 「国家」の危機などではありません。(「国家」は相変らず元気で、原発をなくす気などさらさらない)
 私たちが生活している場である実体としての“くに”が私利私欲のみを追求するグループによって、痛めつけられているということなのです。

 ネトウヨには“くに”が挙げている、この悲鳴が聞こえないのでしょうか。
 彼らは、実は自分たちを抑圧している“国家”に一体感を持とうとしています。

 ネトウヨの人たちは、日本という「国家」は、清く正しいものであるハズだと思いこんでいるようです。
 そして、この「日本」に疑義を呈する人たちを、ボクちゃんの愛する国家に盾突く“不届もの”と見なしているのですね。

 この際ですから、はっきり書いておきましょう。
 ネトウヨが「国家」などに一体感を持てるのは、本来ふるさとであるはずの「くに」に実感を持てないからです。
 このことは、本来は現代人としての私たちにとって多かれ少なかれ共通の問題なのですが、ネトウヨにとって、これが特に先鋭的に作用しているのでしょう。

 職場であれ、地域であれ、かなり矮小化された形のものではありながら、その中で多少とも自己実現を出来ている人間には「国家」への一体感など必要ありません。
 しかし、コミュニティに対しては疎外感しか感じられず、日々生きている現実の中で自分を実現していくこともかなわない人たちには、より強大な存在である「国家」がなくてはならないものに感じられるのでしょう。

 厳しい状況にサラされていることにおいて、本当に一部の層を除いては、私たちはみな同様だと思います。
 問題は、幻想に逃げず、あくまでそこに踏みとどまるか否かだと私は考えます。

愛国心について――「日本」を誇りに思う必要などない

 前回に続き、自民党を支持する若い方々へのメッセージです。
 今日はちょっと遠回りした話になるかもしれません。

 考えてみたいのは、自民党総裁・安部晋三の主張、そのうちの一つについてです。

 この人はこんなことを謳っています。

誰もが日本に生まれたことを喜び、誇りに思うことができる国創り

 演説から引用すると、こんな風です。

子どもたちが日本に生まれたことを誇りに持てる、子供たちがこの国に生まれた誇りを持てる。そういう日本を取り戻して行く

 記事のタイトルにあるとおり、「誇り」を持つ必要なんかないんだ、というのが私の考えです。

 安倍は「誇り」の文脈で、たとえばこんな趣旨のことを言います。

 2011年において、計算速度が一番速いコンピュータは日本のコンピュータである

 日本に誇りを持つ理由の一つが、これみたいです。
 しかし、「日本の」コンピュータとする必然性がどこにあるのでしょう。
 こう言ってもいいはずです。

 理化学研究所富士通が共同開発したスーパーコンピュータが一番速い

 「世界一」のコンピュータを作れたのは、理化学研究所や富士通のスタッフが優秀だったからだ――こう考えて、なんの過不足もありません。
 私としては「エライもんだね」くらいのことは思えますが、これを「誇り」に感じる理由など一つもないのです。

 オリンピックがありました。
 JOCの予定には遙か及ばない結果だったようですが、それでもいく人か金メダルを獲得した選手がいました。
 これは、選手の素質と努力、そして選手を支えたスタッフの力があったから獲得できたメダルでしょう。
 夜おそくまでテレビで観戦していた人は、例えば内村選手の活躍をそれこそ「エライもんだね」とは思えるでしょうが、どういうカラクリがあれば「誇り」になど感じられるでしょうか。

 まあ、なんとも便利な言葉ではあります。
 自分とは何のかかわりもない人の業績でも、そこに「日本」をからめるだけで、「同じ日本人として誇りを感じる」なんてことが可能になるのですから――。
 そんなことを子どもたちに勧めてはいけないと私は思います。

 安部晋三も、自分が作ったわけでもないコンピュータに「誇り」を感じているヒマがあったら、「職場放棄」などしないで、自分自身の仕事をコツコツとこなしていればよかったのでありました。

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