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2012年12月23日 - 2012年12月29日

2012年12月23日 (日)

「脱原発」の根拠――「未来の党」の惨敗やら何やら

 今回の選挙結果に、がっくり来ていないと言ったらウソになります。
 何しろ、基本的に「反・原発」を志向した勢力はすべて否定された結果になってしまいましたから。

 維新やみんなは、とても反・原発とは思えません。
 社民や大地、共産など、みんな議席を減らしましたし、未来の党は目も当てられない惨敗です。

 共産党が今回少しは伸びるのではないかと思っていましたが、逆に減ってしまいました。
 この党は、国会前のデモにずっと併走していくことを、党として――もちろん、この機会に支持を増やそうと考えたのでしょうが――はっきり選択していました。わずかではあろうけど、多少とも議席が増えないことはないだろう――そんな風に感じていたのでした。
 私自身は、悪意は持たないものの、特に期待をかける気持ちはありませんでした。それでも、あれだけ――いちおうは?――継続して頑張ったのに、全然見返りがなかったのは気の毒でした。

 なんだか、「反・原発」を言う政党にはすべて、しっかりお灸をすえてやらなければならない――そんな風な国民の選挙行動だったような気がしてしまいます。

 世界内存在の一人として「評論」するアホを演じたくはないのですが、維新の会にあれだけ票が集まったのには、かなり脱力してしまいました。
 「民度の低さ」なんて言葉が、目の前をちらつきます。
 たぶん、民主はもうイヤだけど、自民には入れたくない――という選択が、維新やみんなの党への投票だったのでしょうけど。
 それにしても、いったい何を実現してもらいたくて維新に入れたんだろう? 私にはまったく理解できません。

 言いたいことは沢山ありますが、いまはちょっと控えておきます。

 私自身は、投票行動をとおしてだけでなく、選挙活動の面でも「日本未来の党」を応援したわけです。選択の基準になったのは、「脱原発」の志向を持っている一定の勢力ということでした。
 社民党や共産党は、なにしろあまりにも議員数が少なすぎます。いずれにしろ、単独で過半数をとれるような脱原発・政党は誕生しそうもないとしても、少なくとも40や50には手の届きそうな、核になる勢力が必要だと私は思ったのです。
 まあ、これがとんでもない思い違い・当てはずれに終ったのでしたが。

 私は「脱原発」を実現するのは、とても難しいことだと思っています。
 仮りに「脱原発」を公約とする政党が衆議院の過半数を獲得したとしても、ただちに実現するというわけにはいかないでしょう。
 簡単な話、今回の選挙前にはそういう政党が政権の座にあったのだし。

 民主党の言うことはウソばかりだという理解があまりにも一般的になってしまったので、原発の反対派であれ推進派であれ、彼らのいう「脱原発依存」をまともに云々しようという気に誰もならなかったみたいです。
 しかし、民主党が脱原発の政策を選択し、選挙でもそれを訴えていたのは事実です。

 ここで、私は民主党の原発政策への支持を表明しているのではありません。
 彼らは、脱原発政策の閣議決定を米国からの恫喝を受けて、あっさり放棄してしまった人たちです。

 マスコミの対応はどうだったでしょうか?
 「東京新聞」がこの恫喝をすっぱ抜いたのですが、他の新聞社は知らぬ顔を決め込みました。こんな時にこそ政府の「弱腰」を批判しなければいけないというのに、です。

 たとえば、例の「ダレス警告」の時は、最初にスクープした「産経」(当時「産経時事」)に半日遅れですべての主要紙が同調しています。みんな大きく「一面トップ」の扱いでした。論調は「けしからん」恫喝だ、です。条約のまともな解釈から言って「択捉・国後」と「沖縄」の等価交換などあり得ないという学者の見解なども同時に掲載していました。

 民主党の閣議決定に文句をつけた米国の恫喝は内政干渉以外の何ものでもありません。
 こんなことを許していては、一貫性を持った政治など不可能ですから、大いに問題にしなければならなかった筈なのに、マスコミは無視したのです。

 話は単純なのでしょう。
 大手マスコミも所謂「原子力ムラ」のメンバーだからこその無視・沈黙です。

 「脱原発」を実現するためには、国内外の「原子力ムラ」を一つ一つねじ伏せていかなければなりません。
 日米安保を憲法より大事にしている人間たちが、国政の中心で跳梁跋扈しています(何よりの証拠に、「憲法改正」を叫ぶ大きな声が四方八方から聞こえてくるのに「安保改正」を叫ぶ声は、小さすぎるのか、まったく聞こえてきません)。
 現在のままの「日米関係」を続けていては、脱原発の実現は不可能でしょう。つまり、脱原発は国内問題にはおさまらないのです。

 共産党は、「卒原発」を掲げる未来の党を「シングル・イシュー」の政党だと非難(批判じゃなくて)しました。それ自体が事実には反する非難だったのですが、以上のような理解からすると、脱原発はシングルなイシューというには、あまりにも広い領域にまたがるイシューであるわけです。

 「脱原発」を実現するためには、日米関係を変化させなければならない。マスコミのあり方も、法律も司法も、官僚支配も、みんな変えていく必要があります。
 逆に言うと、「脱原発」をどのようにして実現していくのか、という視点から見たときに初めてそういう問題群が見えてくる。実現していこうと動き始めるときに、ぶつからざるを得ない壁としてぶち当たるからです。

 話はもどります。
 選挙の結果としては「脱原発」は否定されましたが、放射能汚染で国土を、子供たちの未来を汚染させたくないという国民の願いがまったく消滅してしまったはずがありません。
 問題は、そういう国民が自分たちの願いを託せると思える政党が存在しなかったことだと私は思います。

 政党の選択はその政党が「何を言っているか」ではなく、「何をしてきたか・何をしているか・何をしようとしているか」に掛っているからです。
(その点からも、「生活が第一」は動きが鈍すぎました。しかし、それを十分承知の上で、他に選択肢がないと思って、私は「未来の党」への支持を決めました)

 本当は、国会前デモを含む国民の動きを養分として育つ政党が必要でした。国民の多くの声をすくい上げる政党が。

 選挙によって政党を国会に送り込むだけでなく、その政党を支える社会運動が必要でしょうし、社会運動は何らかの形で自らのエネルギーをそうした政党につなげていく回路を持つ必要があるでしょう。

 出来れば、続きを次回に書きたいと思います。

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