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« 「脱原発」の根拠――大多数の健全で合理的な判断 | トップページ | 脱原発の根拠――誰が決めるのか? »

2013年1月 6日 (日)

脱原発の根拠――反論にお答えして

 書き込みのあった順に、少しずつコメントにお答えしてきました。
 あと二つ残っているというのが現段階ですが、この際こちらのブログ記事の方でまとめてお話しをさせていただくことにします。
 「とある技術者」さん、「やまんば」さんのコメントについての私からのお返事です。
 こちらで書かせていただくのは、一つには原発をめぐる議論でよく出てくる論点を代表しているように思ったからでもあります。

 さて、原発とは関係ないような話から始めることになりますが――
 私は、ヒトの思考について以前からある種の思いこみを持っています。自分でも100%適用可能だとは考えていませんが、人と対話をする際に最初の前提として、そういうものが自分の中にあるということをいつ頃からか自覚するようになっています。

 それを簡単に言ってしまうと、意見の違いは「事実認識の違い」に基づいていることが殆どではないか、という考え方です。これは、「事実認識」さえ共有すれば、人はそんなに違う結論を導き出さないだろうということでもあります。
 たとえば二人の人間が同じ事件の現場にいて、まったく違った印象や見解を持ったりしたとしましょうか。それは、その場で目にしていたもの、注目していたものが異っていたところに由来するのではないかと思うわけです。

 もうひとつだけ。
 世の中でよく言われるのが「理系」か「文系」かという分類です。私はこれには信を置いていません。哲学に詳しい人が経済学についても同じかどうか分からないし、「理系」といっても「電気」系統を専門にしている人が、「化学」の領域に関して理解していることは「文系」の人とどれほど違うかも疑問です。
 私の兄は「理科一類」というやつでしたが、これは数学専攻でした。彼は、科学技術の実際については知識もなければ興味もありません。

 去年の夏以降に大きく展開された反原発「国会前デモ」ですが、あれは福島の事故から1年以上たってからの盛り上がりでした。
 うん十年前から脱原発を訴えていた人たちが“I told you so.”と言って始めたものだったとしたら、11年の3月か4月くらいから盛り上がっていたにちがいありませんけど、そうではなかったのですね。

 「国会前デモ」に参加した人たちも、みんな最初はテレビや新聞をとおして事故を知ったのでしょう。それが、いつの間にか「収束宣言」は出る、気がついたらマスコミが事故についてほとんど報道しなくなった――という状態になった時、「ちょっと違うんじゃないのか」と思い始めた。
 その疑問が、自分で調べ、自分の頭で考えるということに進んでいき、「このままにしてはおけない」という自分の考えを表現する手段を求めるにいたったのが、あのデモではなかったでしょうか。
(私自身は、そんな流れに遅れないようにヨロヨロと追いかけているくらいの人間ですけど)

 何が言いたいのか?
 ほかのすべてについてと同様に、原発について論じるにあたっても、多くの正確な情報を仕入れることなく、不十分な事実認識のままでは、いくら論理を重ねていこうとしても意味のある議論はなし得ないのではないか、とまず訴えておきたかった次第です。
 
 というわけつで、とある技術者さんのコメントです。

>>私は素材メーカーに勤めている技術者ですので、その観点からコメントしてお
>>きます。

>>これは、原発の型式によって“可能性”に大きな差があります。
>>福島第一原発は1960~70年代のを無理矢理動かしたことに加えて、東電のザル
>>管理のためにこんな事態になってしまいました。
>>ですから、安倍総理が最近言及していたように新しい原発に置き換えて、古い
>>のは廃炉にするのがトータルのリスクは小さくなります。

 福島第一原発は、一番古くて1971年、あとは74年、76年、78年の建造です。
 これらを「1960~70年代のを無理矢理動かし」と表現するのは、かなり無理があります。特に意図されてのことでしょうか。
 もし「Mark-1」型が危険だということを言いたかったのなら、はっきりそうお書きになればいいのにと思います。日本のマスコミでそういう議論がなされていない状況は異常といわざるを得ませんし、「Mark-1」に明確に言及した発言こそ積極的になさるべきではないでしょうか。

>>使用済み燃料の再処理によって成分分離後、ガラス固体化し、地層処分する技
>>術がありますよ。また、再処理をすることにより放射性廃棄物の体積を圧縮す
>>ることも可能です。

 ガラス固化については、以前のブログで触れたことがあります。
 「技術がありますよ」というような表現は妥当でないとそこで書いています。

 これについては、何重にもわたって問題があるのに、「ありますよ」で済ませるスタンスが理解できません。
 お書きになっていることは、文面としてウソはありません。
 「再処理によって成分分離後、ガラス固体化し」というのは確かにそうでしょうが、日本でいまどんな「再処理」が行なわれているか教えていただけますか?

 まず「再処理」が出来なければ「ガラス固化」は出来ないということ。
 日本では、その「再処理」もまったく見通しがたっておらず、六ヶ所村での「ガラス固化」は果てしなく失敗を繰り返しています。

 また、「ガラス固化」したものをすぐに「地層処分」することは出来ません。少なくとも30年、もしかしたら100年の間、冷却をしてから初めて「地層処分」のステップになるのです。

 そして、地震多発国の日本で「地層処分」が果して可能なのか。
 いろいろな注釈をつけずにひとことで言ってしまえば、それは不可能なはずです。
 まあ、とりあえず以下の記事を参照なさってください。
 
日本で高レベル放射性廃棄物の最終処分はできない
田坂 広志
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120913/236750/?P=1

 そして、前にも書きましたが、放射性廃棄物処分の「技術」は存在しない、というのが本質のすべてです。このことをとある技術者さんは認められないのでしょうか。

 とある技術者さんのコメントを読んでいると、まるで日本の原子力発電システムが何の問題もなく、事実として「まわって」いるみたいではありませんか。
 核廃棄物の貯蔵があと10年もしないうちに限界に来てしまうというのは、無知な素人が騒いでいるだけだとお考えなのですか。
 本当にそんな認識をお持ちだとしたら、何をかいわんやということになります。
 
 いや、技術の現状を言っているのではなく、可能性について書いたのだと反論されるでしょうか。
 そういう方向の話では「核融合」の技術を前提にして日本のエネルギー政策を論じることにも意味があることになってしまいます。

 確かにイギリスには再処理を引き受けてもらっています。
 しかし、イギリスやフランス、スペインやフィンランドも含めて、原発システムが実際に――本当の意味で――「まわって」いるところがありますか?
 私はどこにもないと思います。

 臭いモノにふた、といいます。
 地中に埋めるのは、これ以外のなんでしょうか。
 どうにも始末のしようがないから、フタをする如くに地中に埋めてしまおうというのです。このどこが「技術」なのですか。
 ダチョウが、その場から逃げる代わりに地面に穴を掘って頭を突っ込むという習性――本当かどうか知りませんが、それと殆ど変わらないのが「地層処分」だろうと私は思います。ダチョウと現代のホモ・サピエンス・サピエンスがそう変わらないとしたら、これは退化そのものです。

>>不可避だからと言ってしまうと、原発に限らず放射線装置類を扱う分野はどう
>>するんですか?

 これは、なんだか小学生が口をとがらせて言い募っている図を連想してしまいます。

 放射線技師と結婚すると畸形の子どもが生まれる可能性が高い、というのはデマです。
 少なくとも一般人よりは被曝量も多い、というのもデマです。放射線を扱うのと被曝するのは同じことではありません。
 全然レベルが違い、また実態が違う話を混同してはいけません。

 とある技師さんが所謂「ためにする議論」というのをしているのではないかという私の疑念は、こういうところを読むと強まるばかりです。
 これに続く部分にはお答えする必要はないと思います。
 現にアスベストは製造中止になっているではありませんか。原発について、それに対応するのが何かは、普通に考えれば誰にでも分かります。

>>>>電気代が上がったら、企業が海外に逃げていってしまうという議論があり
>>ます
>>先日、私の会社では電力料金の値上げのため、国内中心で製造していた製品の
>>一つを海外へ半分ほどシフトすることが決まってしまいました。当然、国内の
>>雇用は減少する傾向に入っています。“議論”ではなく、実際に起こっている
>>ことですよ。

 私の書き方が十分でなかったでしょうか。
 たぶん、たいていの人には私の意図通りの読み方をしていただけるのではないかと思いますけど。
 企業が海外に「逃げて」いくかどうかについて議論があると言ったのではありません。
 「逃げていくから原発を動かせ」という議論があるけど、それは妥当かどうかという意味で書いたのです。

 いくらでも海外に出て行ってしまっていいのだと言いたいわけではありません。そういうことも考えつつ、これからの日本のあり方を求めていく必要があるということです。
 そこを無視して、電気料金の心配をそのまま「原発再稼働」につなげる議論は短絡的すぎます。

 結局、とある技術者さんの主張をまとめると以下のようになります。

 原子力発電は、廃棄物の処理まで含めてトータルのシステムとして何ら問題ない。
 廃棄物処理を後の世代への責任先送りだとするオコジョの議論も間違い。つまり、後の世代に過重な負担・危険を強いる可能性はない。
 そこで働く人たちの危険性も、他の職業と比べて特に甚大ということもない。

 これは、事実を正確に受けとめることを拒否し、かくあらまほしき願望にもとづいた結論でしかないと私には思えます。

 原発を再稼働し、新たに建設することまでも支持するとある技術者さんの主張の、一番根底にあるのは、ただただ安い電力が欲しいということにつきるのですね(原子力発電を“愛している”わけでもないみたいですし)。
 しかし、原発と安い電力に必然的なつながりはありません。ですから、非常な危険を冒してまでその「原発による安い電力」を追求する理由はない――と私は考えるのですが、なにか錯誤があるでしょうか。

 原発による電力の料金とは、簡単に言ってしまうならば、おおむねリスク管理の費用です。「絶対安全」を無理矢理に前提していた従来までは、この費用を極めて低く抑えておけました。
 しかし、実際に事故が起きてしまいました。私が不思議でならないのは、この重大な事実をほとんど無視してかかっている議論です。とある技術者さんもまったくこの範疇に入っていますね。
 まず、事実をまともに受けとめてから、その先を考えていったらどうでしょうか。
 
 実際は、問答無用。何がなんでも安い電力料金が必要だと言い張っているだけです。

 福島で起きた事故の補償はどうなっていますか?
 これを組みこんだものが、原発による電力料金になるはずですね。では、それがしっかり組みこまれているでしょうか。
 
 人の住めないところに住むことを強要し、これまでだったら廃棄していたものまで食べることを強要し、気の持ちようで放射能被害も防げるとしているのが現在です。
 その住居を補償し、安全な食べ物を供給するのに必要な経費が、原発の電力料金であるはずだとは思いませんか?

 実際には、福島の事故のずっと以前(1990年代以降)から、原発の新規設置は頭打ちになり、従来よりも厳格な安全管理を求める声が高くなっていました。つまり、それまでよりも費用のかかる安全管理が必要になり始めていたのです。
 福島事故以前、どころか福島事故以前・以前にもどそうというような議論には明らかな無理があると私は思います。

 平井憲夫さんの残したメッセージを一度お読みいただければ参考になるかもしれません。私の書き込みは、もう少し続きます。.

原発がどんなものか知ってほしい
http://www.iam-t.jp/HIRAI/

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コメント

この記事のトラックバックが、全く内容に関連のない拙記事に送られたため、2013年1月 9日のコメントで「リンクの通知でもなく当方の記事の内容に関連するわけでもない記事からのトラックバックはご遠慮ください」と申し上げたところ、オコジョさんから以下のようなコメントをいただきました。
なかなか味わい深い内容ですので、こちらの読者の方にも紹介したいと思います。

---------------------------

トラックバックとは? (オコジョ) 2013-01-09 20:04:22

 以前からたぶんアホな人だろうとは思っていましたが、かくまでアホだとは!!
 しばらくは、あいた口がふさがりませんでした。

 たとえば、サランラップをご存じですか?
 サランラップで野菜をつつんだら、深沢さんは文句をつけるかどうか、です。

 あれは、もともとは戦争で使っていたモノで、弾薬を包むのに使われていました。いざという時に使い物にならなくなっては大変ですから、しっかり湿気から防護するのにピッタリの発明品でした。
 詳しく書くのは面倒ですから簡単にすませますと、戦争が終わったあとにラップを沢山持ち帰った兵士の奥さんが、サンドイッチを包んだりするのに「転用」したのが始まりでした。二人の兵士の奥さんが、サラさんとアンさんで、サラン・ラップだとか――。
 この手の話はいくらでもあります。

 深沢さんがご利用のインターネットで、その記述言語になっているHTMLは、元来が文章の論理構造を規定していたものだったのですけど(そして現在でもそうであり続けているのですけど)、現在一般的にはパソコン画面での表示方法を按配するものとして活用されています。

 いや、そのインターネット自体。
 インターネットというのは、インターナショナルがナショナルのインターであるのと同様、ネットワークのネットワークのことです。
 もともとが研究者の情報交換のために、それぞれのネットワークをつなげるというところから始まりました。
 何も、エッチ画像を見られるようにするために作ったものではありません。

 深沢さんは、なんなら18禁のサイトに行って、あんたたちの使い方は違うと文句をつけたらいかがでしょうか。

 そもそも――トラックバックとは何ぞや???
 それを深沢さんが決めようというのですか。あれまあ……。
 「そもそも論」をしたって仕方ありません。使えるモノは使うのが相場です。

 私たちの場合、トラックバックというのは「こんなコトを書きましたよ」という“お知らせ”の意味を持っています。現に複数のブログとそういうトラックバックをやりとりしています。こちらからもリンクするし、むこうからもリンクしてきます。それで何の文句もありません。当然のことです。

 私自身は、以前にも書いたように、コメントもトラックバックも基本的に自由放任です。私が判断して「許可」したり「拒否」したりということをしていません。
 でも、人によってはどちらも「許可」制をとっていたりします。すべて、公開される前に管理者の目がチェックするという過程があるわけですね。

 深沢さんも、気にくわなければ私のトラックバックを削除すれば――あるいは拒否すれば――いいだけです。
 なにも、トラックバックが“そもそも”どういうものかなんて説教を垂れる必要はありません。

 私としては、気をつけていないと忘れてしまうので、それを防ぐために時々トラックバックをつけさせていただいている次第です。

 資料を取り寄せるのに或る程度の時間、それを読むのに或る程度の時間、かかるので、少し待ってくれというコメントをいただいています。

 その後、連絡が入っていませんので、いまだに取り寄せ中か何かなのだろうとは思っております。
 誤解をいつまでも引きずっているのは、そう望ましいことではありません。
 4島返還論への転換に米国の意思が関わっていないという御「信念」は、ただそうあってほしいという深沢さんの願望だけに基づいているものですから、なるべく早いところ脱却した方がいいのではないかとは、心配しているところではあるのです。

---------------------------

 このコメントに対する私の返答は、拙記事↓

http://blog.goo.ne.jp/GB3616125/e/ad3154dfcfe6172225ceccb7848b46ba

のコメント欄と、私のブログの

オコジョさんの指摘について(1) 池田香代子氏に関わる記述について
http://blog.goo.ne.jp/GB3616125/e/b409af40d7d353c1302e56487d16f8be

に始まる一連の記事をご参照ください。

はじめましてちくわと申します。

「将来的にゼロを目指すべき」
ゼロにすべきと書けないあたり、お里が知れてますな。
こういう仮面をかぶった人物との論争は無意味ですよ。
もともと魂の根幹がないのですから。枝葉の話ばかりで、うやむやになるのがオチです。

それでももし、とある技術者さんが、対話を望まれるなら
自分はなぜ原発ゼロを目指すのか?
原発ゼロまでの自分なりの工程を提示すれば良いでしょう。
それについて話し合えば多少は建設的ではないですかな。

それにしても不気味な風潮です。
原発に限らず、国の重要政策において、しばしば「優しさ」や「思いやり」が利用される。
これにマスコミが絡むともう、最悪である。

 本記事のトラックバックをいただきました。

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 これまでにも何度かトラックバックをいただいておりましたが、リンクの通知でもなく当方の記事の内容に関連するわけでもない記事からのトラックバックはご遠慮ください。

・>原子力発電は、廃棄物の処理まで含めてトータルのシステムとして何ら問題ない。
・>事実をまともに受けとめてから、その先を考えていったらどうでしょうか
何ら問題ないとは書いてませんが…。現実を受け止めた上で書いています。

・>技術の現状を言っているのではなく、可能性について書いたのだと反論されるでしょうか。そういう方向の話では「核融合」の技術を前提にして日本のエネルギー政策を論じることにも意味があることになってしまいます。
核融合ほどには飛躍した話ではないと思いますが…ところで、核融合炉が実現したらオコジョさんは賛成なさるんですか?

・>ガラス固化については、以前のブログで触れたことがあります。
これは失礼。そこまで読んでませんでした。

・>福島第一原発は、一番古くて1971年、あとは74年、76年、78年の建造です。これらを「1960~70年代のを無理矢理動かし」と表現するのは、かなり無理があります。特に意図されてのことでしょうか。
それは運転開始が1971年からですよ。建造期間も含めて1960~70年代です。他に意図することはありません。

・>現にアスベストは製造中止になっているではありませんか
同様に、私の会社で製造しているナノマテリアルも将来取扱い中止になる可能性がゼロでは無いですね。技術的な話に絶対は無いのですから。もちろん現在の技術水準における最善を尽くすのは当然ですが。

・>これは、なんだか小学生が口をとがらせて言い募っている図を連想してしまいます。
・>放射線技師と結婚すると畸形の子どもが生まれる可能性が高い、というのはデマです。
想像力豊かで恐れ入ります…あまりにもどうでもいい話だと思うのですが…

・>少なくとも一般人よりは被曝量も多い、というのもデマです。放射線を扱うのと被曝するのは同じことではありません
いえ、被曝事故の事例は普通にありますよ。

・>臭いモノにふた、といいます。地中に埋めるのは、これ以外のなんでしょうか
・>前にも書きましたが、放射性廃棄物処分の「技術」は存在しない、というのが本質のすべてです。このことをとある技術者さんは認められないのでしょうか。
・>フタをする如くに地中に埋めてしまおうというのです。このどこが「技術」なのですか。
地層処分施設の設計は充分に技術的と言えると思いますがね。放射性廃棄物を完全無害化する技術は存在しないということについては、認めていますよ。ですから臭いモノに蓋が現状では最も可能性が高いのですから致し方ないでしょう。

・>日本では、その「再処理」もまったく見通しがたっておらず
日本ではまだ完全確立はできていませんね。ですが確立している国があるんですから実現不可能な話では無いということです。
また、六ケ所村の件ですが、実際の使用済燃料を用いた試験を開始し、使用済燃料からプルトニウム・ウランを抽出する工程等の試験は完了していますよ。まもなく実用フェーズに入ろうとしています。技術的に工場完成の見通しは立っていますが、東日本大震災で工期に遅れが発生しているためです。

・>電気料金の心配をそのまま「原発再稼働」につなげる議論は短絡的すぎます
・>原発を再稼働し、新たに建設することまでも支持するとある技術者さんの主張の、一番根底にあるのは、ただただ安い電力が欲しいということにつきるのですね
電気料金+電力の質です。先のコメントで書いたように再生可能エネルギーでは電力需要70%を占める産業用に今すぐ対応するのは無理です。妙案があるならオコジョさんから提案してください。

私は別に何が何でもずっと原発を運用し続けることにこだわっているわけではありません。今はまだ原発が必要というだけです。将来的に原発ゼロは目指すべきですが、段階があるというだけです。

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