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« 脱原発の根拠――反論にお答えして | トップページ | そろそろ本気で始めませんか――三大紙の不買運動を! »

2013年1月 7日 (月)

脱原発の根拠――誰が決めるのか?

 今回は、やまんばさんからのコメントにお答えします。
 こちらの記事は、いきなり始まることになります。

 やまんばさんのご意見は、ちょうど最後のあたりに出てくる文章に集約されていると思います。

>>国民レベルでの議論というのは非常に大事なことだと思いますが、
>>絶対に脱原発が正しい!と思いこむような議論が健全であるとは思えません。

 上の意味するところを敷衍するとどうなるか?

A 議論するのは大事だけど
B 「脱原発」を主張するのは正しくない

 こうなります。

 私は「思いこみ」で議論しているわけではありませんし、自分が絶対正しいなどとは主張していません。自分が手に入れた限りの情報をもとにして、自分の頭で、特別なバイアスをかけることなく(以上はすべて「そのつもり」なのですけど)、判断した結果を文章にして発表したまでです。

 もちろん、あやふやな気持ちで書いたわけではなく、自分なりの確信を持って書いていますから、やまんばさんの印象がまったく見当違いだとは言いません。
 やまんばさんが私の記事について「これは違う」と感じたとしたら、私が迷うこともためらうこともなく、脱原発を支持すると主張したのに対してだと思うわけです。

 そこで、上の要約です。
 議論はしてもいいけど、「脱原発」という一つの立場を選択するのはよくないと、やまんばさんは「主張」されているのですね。

 これはおかしくありませんか。
 お互いに、何が正しいか分からないけど議論しましょう。
 どちらをとるとも選択しないけど議論しましょう。

 これで、いったいどんな議論をするのですか?

 ひところ――というより現在もそうなんでしょうか。もう定着し尽したので改めて意識されることもなくなったのかもしれません――構築主義とか社会構築主義とかいうものがもてはやされていました。これが文化相対主義の流れにいったりするわけですね。
 事実なんてないんだ、というようなことを言うのです。私は言っている本人も実際は意味が分かっていないアホダラ経だと思っているのですが。

 構築主義そのものについては、またいつか機会があれば書くことにします。
 私がお伝えしたいのは、何でもかんでも相対的だとしてしまう議論、何でもかんでも不可知にしてしまう議論は、自分は採用しないということです。

 たとえば、
 私は自分の主張が絶対に正しいことは証明できません。
 でも、これを言い換えると「絶対に正しいことは証明できない」ということは、絶対に正しいのではありませんか?
 これは、果てしなく続く論理ではなくて、あとの(「証明できない」ということは絶対に正しいという)方が正しいことは間違いないのですが、ただ証明ができないだけで、証明はできないけど正しいのです。

 もう一つ挙げてみましょうか。
 カラスは黒い鳥だ、という命題が絶対に正しいことをどうしたら証明できるか?
 これは無理ですね。どうやっても絶対に正しいなんて証明できません。
 しかし、この命題が間違っていることを明らかにすることは簡単にできます。白いカラス(そんな映画がありました)を一羽つれてくればいいだけです。
 なんの曖昧さもありません。間違っていることは、絶対です。

 つまらない話をしてしまったでしょうか。
 私の言いたいのは、この程度には人間理性は信頼できるということです。
 そして、この程度の判断力はたいていの人に備わっているということなんです。
 曖昧なことばかりじゃない、明白なことだってたくさんあるのです。

>>自分の頭だけで絶対に原発推進すべしとか脱原発すべしとか、どう考えても正
>>しい!などと思い込むのは、はっきり言って自分の理性の過大評価でしかない
>>と思います。

 あてずっぽうですが、やまんばさん(推定年齢12~72歳)に選挙権があったとして、あなたは日本維新の会に投票したでしょう。
 特にどうこうということではありませんが、急にそんな気がしたので書いておきます。

 で、「自分の頭だけで」という場合の「だけ」はどちらに掛っているのでしょうか?
 「自分の」or「頭」?
 あるいは、私(を含む一般市民)が「思い込む」のが「理性の過大評価」だとして、誰だったら違うのでしょうか。誰なら判断していいのでしょうか。

 そういえば、上の方にも書いたし、一つ前の記事でも書いたように、私は人間の理性について、ほとんどデカルト的な信頼(というより信仰?)を寄せているようです。どうも、あまりに古すぎて申し訳なくなってきました。

>>どうして専門家でも賛
>>否が分かれる技術的問題を、失礼な言い方で恐縮ですがあなた如きに正しく判
>>断できるというのでしょうか。はっきり言って私に不可能なことはもちろん、
>>専門家で判断が分かれる議論をどうして国民の多数が健全で合理的に判断でき
>>るというのですか。

 ここが重大な問題ですね。
 民主主義の根幹に関わる問題です。いったい国民に「健全で合理的」な判断が出来るのかどうか。

 やまんばさんは「出来ない」派になるわけですね。
 でも、そういう国民にも正しい「人選」は出来るわけでしょうか。

>>そうした健全な議論を行うと考えられる人格をもった
>>政治家を選挙で選ぶこと、それくらいではないでしょうか。

と書いていますが。

>>誤った判断を下して亡くならずに済んだ人を死に追いやってしまって、責任が
>>とれるのですか。そもそもそんな重大な判断を行う権利が、少々テレビで見た
>>とか本を何冊か読んだとかネットで調べたとかだけの知識しかもたない国民に
>>どうしてあるのですか。

 私はテレビは殆どまったく観ません。本を何冊も読んだのは事実だし、インターネットで調べてもいます。それだけでも、かなりの情報量を得られると思いますが、それでは不十分ですか?

 まあ、私の判断がそれだけで「亡くならずに済んだ人を死に追いや」ることはあり得ません。私は発言することで、多少とでも人に影響を与えられたらと思って書いているばかりです。判断することはあっても、「判断を下す」ことはないので、上のように「責任」を云々されるいわれはありません。

 それよりも、実際に人の生死に関わる判断を「下す」事態というやつを考えてみてください。これは、やまんばさんも例外ではありません。
 日本における「裁判員制度」です。
 法律の専門家でもない一般市民に人を裁く資格などあるのかどうか? やまんばさん流に言えば「どうしてあるのですか」?

 英米では「common sense」という概念があります。
 起訴状の書式がどうこうというような知識は専門家に頼らなければならないとしても、被告が有罪かどうかというようなもっと重大な、しかしもっと人間性そのものに関わる問題を判断するのには、専門知識などいらない、一般市民がみな持ち合せているはずの「common sense」さえあれば十分だ――という考え方があるのです。

 たとえばの話、家を建てるためには、大工さん(というより工務店ですか)に頼るのが合理的ですね。しかし、そもそも家を建てるかどうかの判断を、大工さん(!)に任せるでしょうか。

 つまり、原子力発電施設を実際に動かしていくためには専門家の知識が必要だとしても、日本国として原発をこのまま続けていくかどうかの判断は、国民が下すのが順当なのではないか。そう私は思うのです。

 これが認められないのなら、民主主義は成り立たないのではありませんか?

 やまんばさんのコメントを読んで、特徴的だと思ったのは、あらゆることを「議論が分かれる話」にしてしまっていることです。

>>>>また 原発を稼働することによって、放射性廃棄物が増え続けていく これを
>>>>処理する技術は存在せず
>>とお書きになっていますが、これは極めて技術的な議論であって、専門家と言
>>われる人の間でも議論が分かれる話です。

 私は、まったくそういう風には考えていません。
 もし、やまんばさんが上の主張を維持されるおつもりなら、いったい専門家の誰がどこで「処理する技術」があると言っていたのか、その特定の事実を教えていただきたい。
 特定の時に、特定の場所で、特定の人間が、特定の行動を取ったという「歴史的事実」
を(構築主義を否定する)私は実在すると思っているので、そうお聞きするのです。

 地層処分については、ひとつ前のブログ記事にリンクを張りました。
 廃棄物処分の技術については、こちらを参照してみてください。
(以下の記事にとどまらず、このサイトは参考になります)

高レベル放射性廃棄物処分の危険性と問題点
http://homepage3.nifty.com/ksueda/waste0000.html

 やまんばさんのもう一つの議論について。

>>しかし原発を止めた結果、原発を使い続けているよりも多くの国民が死ぬ可能
>>性も十分あると考えられるのです。経済が悪化した結果失業者や自殺者が増え
>>ることは十分に起こりうる事態です。

 失礼ですが、やまんばさんは「リスク」という概念を少々誤解されてはいませんか。

 原発が稼働しなくなっても必ずしも「失業」が不可避ではありませんし、「失業」したら「自殺」するという訳のものでもありません。
 エネルギー政策を進めていく上で、確かに考慮しなければならないモメントの一つではありますが、通常こういうことを「リスク」とは言いません。

 やまんばさんの議論だと、自殺がまるで自然現象のようです。人の意思の存在というものをまったく無視しています。
 放射能の被害にあって発病するのは、本人の意思とは無関係ですが、失業したときに自殺を選ぶのは一本道ではありません。失業した人が自殺を余儀なくされたとしたら、それは第一義的には社会の安全ネットワーク、社会保障の問題です。

 やまんばさんのおつもりでは大分ちがうのでしょうが、原発をとめたら自殺者が出るというのは「風が吹けば桶屋が儲かる」という理屈と本質的な違いはありません。
 そういう表現がお気に召さないのでしたら、レベルが違うと申し上げましょうか。

 やまんばさんは、まず個々のデータをしっかり収集されてから、お考えになった方がいいのではないかと私は思います。
 チェルノブイリの核汚染で、ウクライナの住民がどんな健康被害を被ったか、アトミック・ソルジャーたちがどのように苦しんだか、そういう具体的な事実を、まず把握されてから判断されたらいかがでしょうか。

 問題を抽象的に頭の中でころがしても、学生同士のディベートかなんかなら多少の成果を上げられるかもしれないけど、実際問題に有効な答は出てこないと私は思います。

 核廃棄物の話は「議論の分かれる」「技術的な問題」なんかではないというのが私の考えです。

>>福島の事故で何人が亡くなったのか、今後亡くなるのかはわかりませんが、そ
>>れ以上の人が原発を止めることによって亡くなられる可能性もあるのです。当
>>然逆もありえますが。

 話はもとに戻りますが、そういう訳ですから「原発を止めることによって亡くなられる可能性」という表現は、ちょっと杜撰すぎます。
 「失業したために自殺する可能性」というのも大ざっぱですが、まだマシです。
 では、なぜ失業したのか。
 会社が倒産したから、日本から海外へ移ったから、ということになるでしょうか。
 なぜ会社が倒産したのか? 電気料金が高くなりすぎて……。
 こんな具合いに続きます。

 では、なぜ電気料金が高くなったのか?

 ここに「原発を止めたから」というのを入れたいのでしょうけど、ここにも必然性はありません。原発が止まっても、他の手段でそれが補えればいいわけですから。
 要するにエネルギー政策の不都合で電気料金が上がったというのがことの本質になるでしょうね。
 結局、やまんばさんは全然レベルの違う問題をごっちゃにしているのです。

 さて、行ったり来たりしているみたいですが、私も結論に入りたいと思います。

>>必要なのは原発推進運動でも脱原発運動でもなく健全な議論です。
>>国民にできることや求められる義務は、知見をだし議論を行うことはもちろん
>>ですが、政府の議論が利害関係者の考えだけで進まないよう健全な議論が行わ
>>れるよう監視すること、そうした健全な議論を行うと考えられる人格をもった
>>政治家を選挙で選ぶこと、それくらいではないでしょうか。

 ここまで、私もとことん真剣に読み、考え、書いてきました。その過程で、どうもやまんばさんの年齢が分かってくるような気になってしまいました。
 男性か女性かは分かりません。でも、やまんばさんは13歳くらいの方だと私は思います。
 全然ハズレ! バカじゃないの? と言われるかもしれません。
 はずれる可能性の方が全然高いわけで、わざわざそれを書いてバカにされる必要もなさそうなものですが、このあとをどう続けるかに関わってきますので、あえて書きました。13歳の方に伝わるようなメッセージとして以下を続けます。

 やまんばさんの議論は、まったく不十分すぎます。
 なんの具体性もありません。
 上の引用の冒頭ですが、脱原発の運動というのはありますが、原発推進運動なんてありません。原発の推進は、そうする力をもった人間たちが、表立つことなく進めていることなのです。彼らには権力やお金がありますから、「運動」なんかする必要はないのです。

 脱原発を求める人たちには、力がありません。だから、デモをしたりするのです。そうやって自分たちの意思を表明していく必要があるからです。
 やまんばさんは「健全な議論が行なわれるよう監視すること」と簡単に書いていますが、それが可能だと思っているのですか。どんな形でそれを行なっていけるか、思い描けるのでしょうか。
 そんな「監視」なんか簡単にはできないからこその現状なのです。福島の事故も、そういう監視が出来なかったから起きたのです。

 「健全な議論を行うと考えられる人格をもった政治家を選挙で選ぶ」と書いていますが、どれだけ真剣に考えた結果の表現なのでしょうか。
 民主党政権の中にも、脱原発を誠実に求めていた議員が何人もいました。しかし、政権が実際に何をしたでしょうか。安全管理についての何の対策も講じないまま大飯原発の再稼働をやってくれました。

 専門家や有識者によろうがよるまいが、健全な「議論」の結果として原発の維持や停止が決まるものと、あなたは本当に思っているのですか?

 私は脱原発が容易に実現できるとは、まったく思っていません。
 脱原発を実現しようとするときに立ちふさがる壁の一つ一つを乗り越えていく、そのことに意味があると考えるからこその脱原発支持なのです。

 2030年代に原発ゼロを目指すという政府方針が、その直前に米国から横やりを入れられて、閣議決定までもっていけませんでした。なぜそんな妨害が入ったのか、なぜそれを受け入れてしまったのか、やまんばさんはご存じですか。
 そういう情報をしっかりと把握しようとしていますか。

 やまんばさんの意見表明というのは、私からはこんな風に見えます。
 「原発の問題については、どのように考えるのが正しいのか」
 どこでも通用するような正しい考え方なんてあると思っているのですか。

 脱原発と原発推進と、どちらが正しいかという「演習問題」なんかじゃないんです。
 ことは闘争であって、勝つか負けるかの問題なんです。

 私がなぜブログの記事を書いていると思いますか?
 少しでも世界に影響を与えようとして書いているのです。
 それは、太平洋の真ん中にワインを一滴落とすようなものかもしれませんが、それでも一滴分は変わるはずだと思ってそうするのです。

 やまんばさんへのお願いは、原発をどうしたらいいのか、自分の頭でしっかり判断を下してほしいということです。情報をできるかぎり集めて、それをもとにして自分で考えてみてください。
 その結果として、原発を推進した方がいいと思われるなら、改めてコメントいただきたい。いくらでも議論しましょう。
 また、脱原発に賛成だという結論が出たら、それを表明してください。一人でも多くの人に届くように。

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コメント

ししまる様,そのとおりです。高レベルの放射線を出す廃棄物は,ドラム缶に固めて原発施設内に保管しているだけです。当然ながら,放射能はそうそうなくなりません。何万年にもわたって放射線を出し続けます。
仮に,処分場ができてそこに保管できたとしましょう。何万年にもわたって人の手で管理しなくてはならないのです。その施設は何万年も耐えうる施設なのでしょうか?高レベル放射線を出すドラム缶はそのままの状態で何万年もたえられるのでしょうか?何万年も人の手で管理がそもそもできるのでしょうか?
できません。無理です。結局問題の先送りにすぎず,根本的なことは何一つ解決できないのです。原発には「トイレ」がないのです。

原発に関する三つの比喩をご紹介します。

①食糧は出前
原料のウランは100%すべて輸入に頼っています。オイルショックや湾岸危機などで原油危機ばかり強調されて原発推進の口実にされていますが,実は原料のウランも全部輸入品だったのです。オイルショックどころか,ウランショックも十分あり得ます。煽っている推進派の人たちは,「出前」が届かなくなったらどういいわけするんでしょうね?

②トイレなし
原発には「トイレ」がありません。なんのことかというと,使用済みになった高レベルの放射性廃棄物の捨て場がないことを意味します。これは個体に固められてドラム缶に密閉され,貯蔵されています。それしか行き場がないのです。しかも何万年と大変危険な放射線を出し続けます。果たして,何万年も人の手で管理できるのでしょうか?
それ以前に,初期にドラム缶につめられたものは,そろそろドラム缶が劣化して,さびや腐食が発生している時期ではありませんか?そんなことでちゃんと管理できている,といえるのでしょうか?

③寿命は30年
今は少し増えて40年といわれております。初期に建造された原発はそろそろ引退時期でしょう。いまの福島をみてもわかる通り,原発施設を解体するのは,非常に大変ですよ。建物の外壁はともかくとして炉心部分は材質自体が放射能を帯びています。これを処理するのは危険度も年数も金額も,かなりのものが必要です。解体したゴミはどうするの?その跡地はどうなるのでしょう?安全につかえるのでしょうか?わたくしは,立ち入り禁止区域の不毛の地にしかならないと思います。

こう考えてみると,原発はカネのかからないエネルギーどころか,恐ろしく危険で金食い虫であることが判りますね。「木を見て森を見ず」の状態になってはいけません。

 

>ななしのさんへ

廃棄なんかしてません。原発のその場所に原発内で保管しているだけでしょう。日本に地中保管できる場所などありません。どこでも地下水が噴出しますし、地盤も不安定だし、第一、受け入れる自治体など永久に出てはきません。今あるところで永久に保管していくしかないと思います。

原発を動かしたいなら、最低限、立地受け入れした自治体は、半永久的に核のゴミをそこに置いておく事に承諾しなくてはいけません。日本国中、どこも核のゴミを受け入れるところは無いのですから。ましてや、世界も受け入れてはくれないでしょう。そこまで覚悟してから、稼動や受け入れしてください。補助金だけもらうことは許されません。回りの自治体は、同じリスクを抱えながら、補助金は無いのですから。

活断層だから動かすとか動かさないとか馬鹿馬鹿しいといえば馬鹿馬鹿しいです。日本はもともと火山活動で出来た島ですので、どこが噴こうが、断裂しようが不思議は無いわけです。そんなところで原発やるのに、活断層もへったくれも無いと思います。

また、福島の放射能拡散地域を見ても、本来は半径何十キロか知りませんが、そのぐらいは無人地帯を作れる地帯じゃないと、原発は造れないはずです。それじゃあ日本には作れないから、無理やりマージンを狭く取っているだけだと思います。除染して変えれるだの変えれないだのやってますが、もともと放射能が降り注いだ地域ぐらいは、帰る帰らないの前に、非居住地帯としてマージンを取るべきところだと思います。それに、除染など出来るわけありません。いくら除染しても、山から放射能が染み出てくるのですから。山の土木を全部取り除くでもしない限り、無理だと思います。さっさと諦めて、他の町に住むことだと思います。

それから、これから原発を動かそうって自治体は、原発から出たゴミもほぼ永久にそこで地上管理することも認めるべきです。原発受け入れて補助金をもらうけど、ゴミはよそへやってくれというのは通りません。その周りの自治体は、いざ事故が起こったら、原発立地自治体と同じぐらいの被害をこうむります。なのに、補助金はもらってません。このような不公平は許されません。原発を受け入れるところは、それによるリスクもすべて請け負うべきです。それが出来ずに、受け入れておいて、事故が起こると、突然、被害者でございます。・・・は、ちょっとずるいと思います。

原発受け入れ地の被災者の皆さんは、安全だと聞かされたから同意したんだと言っていらっしゃいます。しかし、私の地元の山口県では、福島の事故が起こる何十年も前から、原発建設を阻止してきた山口県の祝島という人達もいます。老人ばかりの島です。彼らは対岸に建設されようとする原発の敷地に座り込んだり、船を繰り出して阻止してきました。裁判沙汰にもなりました。福島の事故の前は、彼らの活動が正しいのかどうか分かりませんでした。しかし、今では彼らのおかげで、あの美しい海辺に原発が出来なかったんだと感謝してます。そういうところもあるのですから、福島の後から原発を動かす自治体は、なおのこと責任を追わなくてはなりません。

具体的には、日本では、核のゴミを地中保管することは、地下水や地殻変動でとても無理ですので、地中で、ほぼ永久的に、施設を更新しながら現地で地上管理することに同意しなければなりません。これからは、うまい汁だけ吸って、何か起こったときだけ被害者ズラするのは許されません。

いやぁ、選挙終わったら急に白熱してきましたねぇ〜
自分が原発に関して、下手な発言はやめておいた方がよさそうです。

でも両陣営とも長過ぎて読みきれないので、お互い言いたい事は山ほどあると思いますが短めにお願いします。

ひとつ質問なのですが、今現在日本にある放射性廃棄物はどのように廃棄されているのでしょうか。
やはり地中深くに廃棄ですか?

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