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2013年11月3日 - 2013年11月9日

2013年11月 3日 (日)

「直訴」もいいじゃないか

 山本太郎議員の「直訴」が問題になっています。
 私自身は天皇制を否定する考えの人間ですが、山本さんの行動は何の非難すべきところもないと思います。要するに、やれることは何でもやる、あれこれ選んでいる余裕などないのだから、あれもいいのです。
 山本さんを支持はするけど、あれはよくない、なんて言ってる奴は腰が引けているだけでしょう。ふざけるのもいい加減にしてもらいたい。こういう時にこそ、よくやったと言わなければいけないのです。
 A friend in need is a friend indeed. ってのが真理。「まさかの友が真の友」です。
 山本太郎議員に孤立無援の戦いをさせている、民意無視の議員たちにあれこれ言う資格なんてないと私は思います。

 不敬だとか、皇室の政治利用だとか下らないことを喚いている人たちの品性下劣さにはヘドが出ます。大うそオリンピックの「プレゼン」に皇族を利用したのは、いったいあれは何だというのか。

 園遊会と言えば、以前に元(?)棋士の米長邦雄が「頑張って、君が代を無理強いしまくりまーす」というようなことを今上陛下に言上つかまったことがありました。この時、陛下は「強制というようなことはよろしくない」と答えたのでした。まあ、人間の一人として当たり前の答でしょう。
 本当に天皇を尊崇するのなら、なぜここで「ははぁー」と恐れ入り、土下座でもして、かしこまっちゃうことが出来なかったのか。その場で自己否定しなさいよ、です。
 「君が代」を強制したがるバカどもは、その後なんにも行動を改めずに、横車を押し続けているではありませんか。

 二代にわたる天皇がそのあり方を否定した靖国神社に参拝するなんてのは、ニセ右翼ばかりでしょうね。チミたちのやっていることこそが、皇室の政治利用そのものなのですよ。

***

敬老精神は可能か

 例えば「敬老」精神というようなものが、いま可能なのかと考えてしまいます。
 私の住んでいるところの自治会では、毎年毎年9月の半ばになると「敬老会」とやらいう集いを催します。70歳以上の住人を招いて食事会をやり、参加しない人も含めて全員に何かしらのプレゼントをする。最低でも千円以上はする品物が百人を優に越す人たちに進呈されるわけ。
 
 毎年そうやってきたから、今年も同じようにするだけなのですが、いったいそんなことをする必要があるのかと考え出すと、根拠というものがまるで分からなくなります。

 「人生七十古来稀なり」と言われてきましたが、今どき、やや乱暴に言ってしまえば、石を投げれば70歳以上に当たるというくらいなもんです。年寄りは元気だから、どうしても外を行く人の中に70歳以上の割合が増えたりする――かしないか、知りませんけど。

 なぜ年寄りばかりを大切にしなければならないのか、私には分かりません。
 というのは、これまでの論理が成り立たなくなっているのではないかと考えるからです。
 
 「敬老」の論理というのは、
 これまで長い間、一生懸命働いて、結果として社会のために貢献されてきた皆様がたの、その労苦に感謝し、それをねぎらい、
 さらには、これまでの人生でお年寄りが培ってきた「知恵」に敬意を表する、
といったものなんじゃないでしょうか。

 ところが、現在の日本、これからの日本を考えた場合、全然ちがう見方が出てきます。
 これまで長い間、自分たちはさんざん楽しんで来て、その結果として招来した不都合はすべて子供や孫たちに残して、この世からバイバイしようとしているのが「年寄り」なのではないか――と。

 五十余基の原発をこの狭い日本につくり、ひたすら放射能廃棄物をためつづけてきた、その施策を支えてきたのが現在の「年寄り」たちではないのか。
 自民党の一党支配を後押しし、大嘘つきの総理大臣がのさばっているような滅茶苦茶な社会にしてしまったのは、誰なのか? 現在は一線からしりぞき、現役世代からの稼ぎを吸い上げて、遊んでくらしている「年寄り」たちにこそ、その責任があるのではないか――と考えられるのです。

 Don't trust over thirty. というのもアホくさい言葉ではあります。
 70歳以上の方の中にも素晴らしい人が大勢いらっしゃるのは当然のこと。
 ただ、70歳以上というだけで「敬老」の対象になってしまうというような大雑把な分け方がまかり通るのなら、「年寄り」こそが今を今にした責任者だといいたくなるのでした。

 当たり前に考えて、年を経るだけでバカがバカでなくなるという理屈が私には分かりません。バカはいくつになってもバカ――そうフィールド・ワークが教えてくれます。

 とか何とか、どうも底に特定の悪意が疑われる文章になってしまったでしょうか。

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