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2015年9月13日 - 2015年9月19日

2015年9月17日 (木)

NHK記者の劣化がひどい

 NHK記者の劣化がひどい。権力に媚びた報道ばかり続けているうちに、論理的な思考能力がすっかり失われてしまったようだ。今日17日午前中の中継では「自民国対委員長は、60日ルールの適用も選択肢として考えておかなければいけないと述べ、今週中の法案成立の方針を堅持しております」とのたまわっていた。

 NHK記者の劣化がひどい。佐藤チョビヒゲが委員長席についたことに野党が抗議したと伝えるのだが、なぜ抗議したのかその理由をひと言もいわない。
 その前には「鴻池委員長が佐藤理事に議長職を委託した」と言っていた。その後、「委託すると発言した」に修正したり、もとに戻ったり。

 NHK記者の劣化がひどい。鴻池委員長は確かに議長職を「佐藤理事に委託する」と一旦は言ったが、野党からの抗議の怒号に応えて、すぐそれを「取り消す」と修正発言した。これを伝えようとしない。まるで「委託」が成立した事実であり、正当な運営であるかのような印象操作をしたのだ。

 参議院特別委員会・報道。NHKスタッフの劣化がひどい。話し方がまるで安倍政権の閣僚そのまま。アナウンサーに聞かれたことに答えず、まるで違うことをペラペラと喋る。政治部だろうがなんだろうが、何でも分かっていることなど、視聴者の誰も期待していない。分からないことは分からないと言えばいいのに、それができない。

 しっかり報道しろよ。

安全保障を真剣に考えない政治

 ずっと劣等生だった奴にとっては、前から言ってみたかった科白なのかもしれません。
 「考え抜いた」結果があの法案なんだそうです。
 一夜漬でつくったものならまだしも、考えに考え抜いた結果が、あんな風に穴ぼこだらけだとしたら、本人も周囲も、よほどバカものばかりなのでしょうね。

 さて、話の続きです。
 この国は、もう弥縫策ではやっていけないほどこわれていると私は思います。
 昔、「戦略的思考」なるものをブチ上げていた岡崎某とやらがいましたが、何がいいたいのかと思ったら、日本はひたすら米国の言うがままになっているに限るとのことでした。それが「戦略」なんだって、さ。

 今回の安全保障をめぐる法案では、親分の言うがまま何でもやる姿勢を世界中に示すのが「抑止力」向上の唯一の策、というのが政府の言い分です。
 なんとまあ下卑た根性でしょうか。私は日本人として、恥ずかしくてなりません。

 まあ、百歩ゆずって――それでも私ひとりとしてはいやですが――恥ずかしくてもそれで何か御利益があるのなら、まだマシというものです。
 ところが、実は親分の方には子分の幸福・安寧に対する顧慮などまるでないので、まったく話にならないのでした。子分の持っているものを何から何までむしり取ることしか、親分の念頭にはありません。その結果子分がボロボロになった時には、捨てればいいだけとでも思っているようです。

 安倍晋三いわく、安全保障ではあらゆる可能性に対処できるようにしておかなければならない、とか。
 それなら、米国ともう一回戦争することは想定されているのでしょうか。
 いざ戦争しようというときに、なにもかも相手に筒抜けだったら、始める前から負けではありませんか。

 だいたい、米軍抜きで独立した作戦行動ができるような指揮系統など今の自衛隊に存在しないでしょう。
 米国としては、自分たちの下部組織として活用できさえすれば十分で、いいように使い回せることしか望んでいない。そして、日本の側の売国奴どもは、その期待に全面的に答えて、覚えめでたくあればいいだけ。日本のために何が求められているのか、「考えぬく」気などまったくないのです。

 そんなことでいい訳がありません。
 何が「緊密な協力」だ、ふざけるのもいい加減にしろと言いたいです。
 そんな方向に自国の安全保障を進めていくことが、どれほど異常であるか。そんなことも分からない馬鹿者どもが日本の政治をまかされている。その途方もない異常さに気づけないでいられるのが、私には理解できません。

 とりあえずのところ、別に米国との戦争に備えておけと言いたいのではありません。
 いちおう、と言っておきますが、自衛隊については、日本国民はその行動を左右出来ることになっています。
 それに対し、日本国民は米軍の行動をコントロールする権利も制度も持っていません
 自国の軍(そう言っておきます)が、完全に国民のコントロール範囲外にあるものに、指揮系統もなにも丸ごと組みこまれてしまうのですから、これは亡国そのものです。
 何が「日本を取り戻す」だ。ふざけるんじゃない、重ねていいたいのでありました。

 そこで、自衛隊の存在が違憲か合憲かという話。
 これは、議論の前提にこそなれ、議論のテーマそのものにするようなことではありません。多少とでも、脳みその働かせ方を知っている人間にとっては、違憲という以外の結論が出るはずがないのです。
 自衛隊を合憲とするのは、真正のバカか、結論から先に出発するインチキさん。吉田茂の言をもじっていうなら、曲学阿政の御用学者――もともと米国に言われて作った自衛隊だという事情を反映させるなら、曲学阿米の輩とその金魚のふんといったところでしょう。

 自衛隊が違憲であるとしたら、それをどうしたらいいのか。そこが問題なのです。
 で、そこについてなら、確かにいろいろな議論があり得るわけです。
 違憲だから、廃止する/災害救助などに特化した組織として再編成する
 といった方向がある一方で、
 違憲だから、憲法を変えて合憲にする、という選択肢もあります。

 で、腹の底では違憲だと思っていても“戦術上”の必要から、当座は問題視しないようにしてきたのが、従来からの「護憲左派」だと言っていいでしょう。
 本来なら、明らかに不健全な現状態を解消するために、国民が「選びなおす」のが筋なのです。しかし、そういう場を設定すると、(現状から察するに)とんでもない方向に国民が誘導されてしまう公算が大きい。だから、問題として持ち出すのはやめておこう――というわけです。

 これは、現状認識としてそう突飛だとは私自身も思えないのが苦しいところですが、決して褒められた話ではありません。
 存在しないものについては議論しようがなくて、逆に自衛隊について論じようとすることが自衛隊の存在を認めた意味になる――それを避けたくて、見ないふりをする。自衛隊など存在しないようなふりをする。安全保障についても、まともに議論しようとしない。その結果として、安全保障と言えば日米「同盟」しかないと言い張る輩ばかりが横行する風潮になっていったのです。
 上に書いたような、自衛隊と米軍が一体化してしまうような亡国事態を招いてしまった原因の一つが、護憲派の「見ないふり」路線にあるのは間違いないと思います。

 一方、右派の安全保障論は、希望的観測を根幹とした空論にすぎません。
 彼らの言うところによれば、親分に対する日本の滅私奉公ぶりと親分子分の“親密”ぶりを世界中に見せつければ、最強なる親分の影におびえて、どこも日本に手を出してくるはずがない。

 いわゆる「抑止力」が増大する、というわけですが、この抑止力への絶大なる(そうあってほしい願望だけに支えられた)信仰は異常すぎます。

 「抑止力」があるから、北朝鮮はミサイルを撃ってこない――ゆえにミサイルが日本に届いた場合を想定する必要などない、と国会でも言ってしまいました。ミサイルが発射されたらどうするのか、それを考えるのを頑強に拒否するのが、安倍政権でした。

 なぜ、日本をミサイル攻撃する前に、米艦を攻撃しなければいけないのでしょう。そういう作戦があり得ないとは言いませんが、それ以外にありようがないと思いこむのは何なのでしょう。
 ミサイル防衛が完璧に日本を守りきれるはずなどありません。向うは発射したミサイルのすべてが命中する必要はまったくなくて、数十発を撃って、そのうちの二、三発が当たればいいだけです。原発が54基もある日本はそれで終わりです。

 原発が出てきましたが、政府の安全保障論は「原発神話」とまったく同じ構造になっています。原発は、事故などあり得ないから対応もしないと言い張っていたら、現実があっさりそのバカさ加減を露わにしてしまいました。

 山本太郎議員が、国会の質疑で(NHKの放送でも)日本の軍需産業日米地位協定に言及しました。これまでの野党国会議員の有象無象たちが、とっくの昔にやっておかなければいけなかったことを1年生議員が始めてくれたわけで、画期的なことだと私は思います。
 しかし、知ったかぶりをするつもりはないのですが、そうした言及が国民の多くにとって脈絡のよく分からない話だったことは想像に難くありません。よく言った、と思った人たちも多数いただろう一方で、なんだか突飛もない話をいきなり出してきたと感じた国民がそれ以上に存在したと考えられるのです(まあ、さらに多くはその言及のあったこと自体に無知なままでしょうけど)。
 
 この状況を変えない限り、日本は終ってしまうでしょう。
 違憲論を論じるのもけっこうですが、日米「同盟」の虚妄をもっと直接に厳しく追及する必要があります。そうした議論をどんどん発信していく必要があるのではないかと私は思います。

2015年9月16日 (水)

「戦争法案・反対」と「日米安保・賛成」は両立し得ない

 今回の戦争法案に、私は勿論大反対だ。

 特別委員会での質疑を聞くと、しかし、法案に反対する議員たちの多くとは、かなり大きな距離を感じる。
 民主党の現代表などを筆頭に、日米安保は大賛成だがこの法案には反対だという人が多すぎる。日米地位協定を売国条約だと言いきった山本議員くらいが例外だろうか。
 共産党は、日米安保条約・大賛成とは言わない。しかし、法案の「違憲」性を追及し廃案を求めながらも、日米「同盟」をまっこうから否定することはしなかった。

 考えてみてほしい。
 今度の法案は、(山本議員だけでなく)知っている人は誰でも知っているように、米国からの要請があって作られたものだ。その法案に反対するということは、米国の意向に反対する以外のなにものでもないではないか。
 今回の法案が日米「同盟」の本質そのものであることに、どうしたら気づかずにいられるのか、私には理解できない。

 私は思う。
 違憲だから反対する、などというのはナンセンスだ。
 もっとお行儀のいいモノの言い方をするならば、
 違憲だから反対、なんてのはチャンチャラおかしい。ばかばかし過ぎて、おへそで茶をわかすてなもん。
 ひとつ前の記事に書いたが、自衛隊の存在は違憲そのものだ。
 違憲だからいけない、というのなら、なぜ自衛隊の存在に反対しないのか。
 前回の記事は議員さんへのお手紙という体裁だったので、国民に対する説得力がどうこうと書いたが、実は国民自体が違憲に無頓着なのである。
 そんな曖昧さ、いい加減さを不問に付したままでは、どんな盛り上りも六〇年安保の時と同じ轍を踏むにちがいない。

 戦争法案に反対するのは――
 法案が示している米国支配階層(米国の市民には失礼になり、たいへん不本意ではあるが、以下、面倒なので「米国」と表記させてもらう)の「意図」に同意できないから、反対するのでなければならない。
 米国が目指している世界のあり方に同意できないから反対するのである。

 もしそうではなくて、日米安保・大賛成であるのなら、法案に反対する必要などないではないか。

 私は、今回の法案に反対であるが――
 審議がつくされていないから、反対するのではない。
 強行採決したから、しようとしているから、反対なのでもない。
 世界中に紛争を広めている米国の方針を許せないから、反対なのである。

 民主党の現代表などは、自衛権の発動として敵国の基地を攻撃できるようにするべきだとまで言っている。
 そういうトンデモナイ輩と、法案反対だといって共闘できるだろうか。

 法案をつぶせ、安倍をひきずりおろせといって、国会前に数万、全国としては100万規模の結集がみられたそうだ。
 戦争法案・反対――けっこうである。
 しかし、ここに「日米安保反対」「地位協定廃棄」のスローガンを加えたとしたら、同じ程度の結集が可能だろうか。

 こういうことを書くと、非難の集中砲火を浴びるかもしれない。
 ワン・イシュー共闘でいいではないか。
 お前は国民の盛り上りに水をさそうというのか。
 共闘を分断しようというのか、と。

 手短かに説明しておこう。
 受皿がない、という議論がある。
 なければ作ればいいわけだが、これは実際は話が逆なのだと私は思う。
 国民の意識がまず変化しなければ、受皿など現れるはずがないのだ。
 理屈は単純だ。「日米安保・賛成」とはどういうことなのかと言えば、現在の自公政権がやっていることそのものなのである。その自公政権を否定しようとする一方で、「日米安保」は賛成だというのでは、しっちゃかめっちゃか、矛盾もいいところなのである。

 ワン・イシューもくそもない。
 やろうとすることが「日米安保・反対」であるときに、「日米安保・賛成」の諸君と手を組むなんて出来るはずがないのである。
(念のために付記しておくと、民主党全体、民主党に所属する人たちの全員を否定するつもりはない。岡田や野田、前原とは相容れない考え方の人たちもいる。そういう人たちとの共闘は当然推し進めるべきであろう)

 自公落選運動に私は大賛成だ。自分でも、出来る限りそうした動きに尽力したいと思う。
 しかし、自公限定にだけ終始してしまい、traitorたちの多くを生き延びさせることがあってはいけないだろう。

2015年9月14日 (月)

拝啓 山本太郎様――米国の日本防衛義務をつくべし

 先月、8月27日に次のようなメールを書いた。
 宛て先は、山本太郎事務所。
 山本さんあてには、おそらく山のようなメールが来ているのだろう。自動返信はあったが、これまで特に返事はもらっていない。
 近いうちに、ブログ記事を1本追加したいと思っているのだが、その前に、こんなものを書いていると紹介したくなったので、転載しておく。

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 少々長めの文章になってしまいましたので、最初に議論の肝心な点をまとめておきます。

○現在の日米安保条約では、日本の安全保障には不十分なのか

○日米安保条約が米国の日本防衛をしっかりと担保しているのなら、これ以上の奉仕をする必要などないはずである

○米国が日本を防衛する義務は、米国の気分などに関係なく、しっかり条文上に規定されているのではないのか? それとも、米国政府のご機嫌次第なのか?
※これが問題です。これを安倍政権に問うべきだと私は思います。

○安保条約・第5条は、日本が攻撃を受けた際に米軍が自動的に出動するとは規定していない

○「後方支援」を担当するなどして米国への奉仕を増大していけば、日本がより安全になると政府は主張しているわけだが、その根拠は何か
※これも、政府に問いただしていくべきだと思います

 さて、本文

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 拝啓 山本太郎様

 いてもたってもいられない気持ちに駆られて、メールさせていただきました。

 国会中継を見ていると、なんのタクティクスもなく漫然と質問をしているとしか思えない野党議員が多くて、そのだらしなさには腹が立ってなりません。
 なんとまあ、緊張感に欠けた質問のオンパレードでしょうか。質問をぶつけるに当たっては、当然のことながら、相手がどのような答弁をしてくるのかを想定してかかるはずです。そして、その答弁に対してどのように畳みかけていくか、そういう戦略を最初に立てた上で、質問にのぞむべきではないでしょうか。
 ところが、そういう組み立てをしっかり考えることもなく質問し、結果として、毎回毎回同じような答弁、衆議院のときから何遍となく繰り返している文面の棒読みを引き出すに終っている例が、あまりにも多すぎます。戦争法案を廃案に追い込む気が本当にあるのか、智恵も気魄も感じられません。

 そうした中にあって、山本さんは数少ない例外のお一人と言っていいでしょう――他の野党議員とは違って、毎回核心に迫る質問をされています。
 私は、以下に述べるような追及をしていただきたいと思って書き始めています。

 これまでの論戦を振り返ると、野党からの攻勢は、「憲法違反」の法案であるから引っ込めるべきだということが基本になっています。
 たとえば、政府がどう詭弁を弄そうとも「後方支援」が「武力行使」に他ならないことを明らかにし、憲法はそれを禁じているので、法案を廃案にすべきだというわけです。
 この主張自体は間違っていません。しかし、問題の核心には届いていないのです。

 問題の核心に迫るには、とことん本質に立脚した議論をする必要があります。

 まず申し上げると、自衛隊の存在は憲法違反そのものです。日本国がこれまで維持してきた建て前がどうであろうと、9条は、武力の保持をはっきりと否定しています。正当防衛の法理とかとか、苦しい理屈を持ち出して、自衛隊が合憲であるとしてきたわけですが、これは小学生でも分かるインチキです。

 自衛隊が日本にとって必要であるかどうかを問題にしているのではありません。
 法の論理から言って、違憲であるのか、合憲であるのかです。
 これは立場の相違にかかわらず、まともに考える限り違憲という以外の判断は不可能であろうと思うわけです。

 この明らかな憲法違反を「合憲」だと無理やり通してきたのがこれまでの日本です。
 そして、今国会で論戦を挑んでいる政党は、一様に自衛隊が合憲であると認める立場から様々な主張を繰り広げているのです。
 自衛隊という明らかな違憲を一方で肯定しておきながら、今回の法案が違憲であるから廃案にすべきだと言っているのですから、何を言おうと説得力などありません。

 誤解のないよう、ここで申し上げておきますと、私は政府の言い分などまるで信じていません。今回の法案は、米国政府を経由した軍需産業の注文を受け容れるための法案にすぎないと考えています。
 しかし、論理構造を問題とするなら、憲法違反であることをもって、廃案の根拠にするような議論では、破壊力を全然持たないのは明らかだと思うのです。
 政府が主張する論理――「安全保障環境の変化」と法案の可決による「抑止力の向上・日本の安全保障の強化」――を前提として受け容れてしまうなら、それが憲法違反であることを理由として廃案を求めても本質的な議論は構築できないからです。

 安倍政権は、憲法違反など何とも思っていません。「法的安定性なんか関係ない」というのは、本音そのものでしょう。
 そういう彼らに、法案が違憲であることをいくらぶつけても、カエルの面に水でしかありません。なんのインパクトもない。
 たたくべきなのは、彼らが主張する「抑止力の向上」と「安全保障の強化」でなければなりません。そして、そのための方策として彼らが持ち出してきた「米国の下請仕事の増加」が、その処方箋として有効であるかどうかを突いていく必要があるのです。

 いみじくも――いけしゃあしゃあと、鉄面皮にも――安倍晋三が言っていました。従来の対応に固執して、状況の変化に対応しようとしないのは、政治家として「無責任」である、と。
 まあ、よくも言ったものだとは思います。こんないい加減な主張に、まともに付き合う必要など本当はありません。しかし、政治は戦いです。安倍のこの言葉を、正面から受けとめて、完膚なきまでに叩きつぶさなくてはならないのです。こんな主張をそのままにして、違憲をいくら論じても、この売国政権にダメージを与えることはできません。

 現実が対応を求めているのに、それをまったく不問に付して、憲法との整合性にだけ拘泥する主張は、現実に向き合おうとしない主張になってしまうからです。(安倍の主張をそのまま放置する――反駁しないことをもって肯定してしまう――なら、形の上では、そういう風になるという意味です。だからこそ、ここを直接たたかなければならないわけです。違憲論自体を私は正しいと思いますが、それでは安倍が言う「無責任」のそしりをまぬかれえないと思うのです)

 駝鳥は危険な状況に陥ったとき――本当にそうなのかどうかは知りませんが――頭ひとつだけ入るほどの穴を掘って、自分の頭をその中に入れ、安全な場所に隠れたつもりになるのだそうです。合憲かどうかにばかりこだわって、国際情勢の変化に対応するかどうかについては考えようとしない野党は、この駝鳥の愚かさに陥っていることになります。
 政府の「情勢論」「防衛論」を受け容れた上で、ただ憲法論議に終始するだけであるなら、国民から本当の支持を得ることなどできないと私は思います。

 私が言いたいのは、本丸は政府の「防衛論」であり、それを粉砕しないことには、勝利は得られないということです。
 今回の法案を破壊するためには、憲法論議をはなれて、相手の土俵において勝負する必要があるのです。
 政府の「防衛論」を粉砕し、米国への奉仕拡大が日本の安全保障に資するというデタラメをまっこうから叩きつぶすのが、いちばん肝心だと考えるのです。

 これまでの日本は1970年以来、日米安保条約を真正面から取り上げて論戦するということをしてきませんでした。千載一遇という言葉がありますが、今回たいへん貴重な機会が与えられていると考えるべきではないでしょうか。

 私が、今回ご提案したいのは、そういう土俵で安倍政権を木端微塵に打ち砕くことこそを、明確な方針にしていただきたいということです。

 さて、具体的な質問事項です。
 私の知る限りでは、日米安保条約をとことん問題にする方向から質問している議員はこれまでいませんでした。
 追及するべきは「現在の日米安保では不十分なのか」どうかです。

 安倍政権の主張は――こここそが「国民の理解がすすまない」理由の根本なのですが――現在以上に、米国への奉仕を増大する必要があり、それによって日本の安全保障がより確実にされるというものです。
 これまでの奉仕にとどまらず、武器弾薬の提供やミサイル・核兵器の運搬までしないと日本の安全のためには不十分であると言ってるわけです。

 それならば、現在の日米安保条約では、米国による日本防衛は担保されないというのでしょうか。さらに奉仕を増やしていかないと、米国は日本を守ってくれないとでもいうのでしょうか。

 もし、日米安保条約が米国の日本防衛をしっかりと担保しているのなら、これ以上の奉仕をする必要などないはずです。
 一方、安倍政権の言うところによるなら、日本を防衛するかどうかは、米国の機嫌次第、その胸先三寸にあることになります。果して、そんな安保をこれまでずっと維持してきたのでしょうか。

 米国が日本を防衛する義務は、その時々の米国の気分などに関係なく、しっかり条文上に規定されているのではないのか? それとも、米国政府のその日のご機嫌次第なのか?
 これが問題です。これを安倍政権に問うべきだと私は思います。

 もし、安倍政権が現在の日米安保では不十分であると認めるとしたら、これは大問題になります。1960年から現在に至るまで、日本政府が言ってきたことが明確に否定されてしまうからです。
 もし逆に、不十分ではないと言うのなら、現状以上の奉仕をする必要などないはずです。ご機嫌をとろうがとるまいが、米国が日本を守ってくれるのなら、わざわざ余計なことをしないのが――余計な費用が増えるのは間違いありませんから――日本の国益というものです。

 さらに、日米安保の本質に迫る方向での追及もしていくべきでしょう。
 安保条約の第5条に関わってきますが、日本が攻撃された場合に、米国が自動的に防衛に協力してくれるかどうかです。
 以前、尖閣諸島における米国のコミットメントが問われたとき、オバマが「尖閣諸島は安保条約の適用対象である」というようなことを言って、大統領様がはっきり言明してくださった、と日本のマスコミが大喜びしたものでした。
 尖閣が中国から攻撃されたとき、米国が出動してくれると勝手に受けとめたのです。しかし、オバマは適用の対象だとは言いましたが、米軍が参戦するとは言いませんでした。そしてまた、適用対象であるのは、ずっと以前からそうであって、現在も何の変わりもないというような発言をしたのでした。

 米国は、5条に基づいて必要な手続きを開始する義務はありますが、その結果として参戦するかどうかは保証のかぎりではありません。
 この点を安倍政権に迫っていくべきだと私は思います。
 たとえば、日本が中国から攻撃を受けたとき、米軍が必ず防衛出動することになっているのかどうか。そして、その根拠はどこに示されているか。
 ここを厳しく追及する必要があるでしょう。

 問題にすべき点は、まだまだ沢山ありますが、あまり長くなりすぎてもいけないので、今回はそろそろ終わりにしたいと思います。
 ただ、最後に肝心かなめなことを一つ書いておきたいと思います。

 例は数限りなくありますが、安倍晋三は問われていることとはまったく関係のない答弁をしたり、はなから答えるのを拒否したりしています。
 先日の共産党某議員は、自分の質問に「総理からは答えていただけませんでした」などと言って引き下がっていました。これは絶対に譲ってはならないところなのにです。

 こういう時には、明確に答弁するまで審議を継続できないと頑強に突っ張らなければいけません。茶餉台返しをする気魄が求められるのです。
 こんな風にたたきつけなければいけません。

《私は一個人として質問しているわけではない。国民を代表して質問しているのだ。国民には知る権利がある。国民が知るべきことを知り得るのを前提にして民主主義が成り立っているのだ。何も答えないですまそうというのなら、国民はいったい何を材料として判断すればいいのか。
 総理の答弁拒否は、国権の最高機関である国会の否定であり、到底容認できない。私の質問にしっかり答えるか、さもなければ――審議の継続が不可能になるのだから――法案を取り下げるべきである。
 委員長は、その役職の責任をもって答弁を確保しなければならないはずだ。》

 表現はいろいろあり得るでしょうが、断固として答弁を要求する姿勢を貫く必要があると私は思います。机をがんがん叩いてでも、主張すべきを主張しなければなりません。

 長文、失礼いたしました。
 稚拙な文章かとは思いますが、主旨をくみ取って、この先の論戦のためにご参照くださいますようお願いいたします。

2015年9月13日 (日)

高村正彦の大失言

 日本の政治家は、ほんとうにディベイトができないのばかりだ。演説は出来ても、臨機応変に機を捉えた議論を展開できない。

 『日曜討論』を観るたびに、いらいらを募らせていた私だが、今日はあまりのひどさに我慢の限界を越えた。

 文句たらたらは、書き始めるときりがないので、ともかく事実を押えておきたい。

 今日(2015年9月13日)午後9時から10時半まで(自称)「公共放送」局での討論番組。戦争法案(安保法制)をめぐって、与野党10党の出席を得て、議論がかわされていた。

 つっこみどころは盛り沢山なのだが、一箇所だけ指摘しておきたいのだ。高村正彦の発言である。番組をとおして、シドロモドロか居丈高かのどちらかだったこの男が、メチャクチャなことを言い出した。

 今回の法案によって自衛隊員のリスクが高まるかどうか、について、修正不能な大失言をかましたのだ。

 高村いわく――リスクについては、木を見て森をみないようではいけない。個々の木のリスクが高まるとしても、この法案をとおして抑止力が高まることによって、日本全体としてのリスクは低くなるので、森について言えば、リスクは低くなる――と。いちいちの木のリスクにばかりこだわって、森全体としてどうかということが見えなくなってはいけない、と言うのである。

 今ビデオを参照できないので――可能になればリンクをはりたいと思う――厳密に発言したとおりを再現していないが、主張の核である「木と森」の議論に間違いはない。

 討論の中で、これより少し前に、民主党の岡田克也から指摘があった。「安倍首相は、法案によって自衛隊のリスクが高くなることはないと言い切っていたが、今、高村さんはいま『それほど高まらない』と言った。リスクが高まること自体を認めてしまっている」と発言。“武士の情”なのか、それ以上の追及はしなかったが――。

 「それほど」の失言に気づいて、焦ったのだろうか。取り繕おうとして、さらに致命的なことを言ってしまったのが、上記であろう。

 この上、私が指摘するまでもないと思うが、高村は「自衛隊員のリスク」が高まることをはっきり認めてしまったわけである。また言外に「自衛隊員が多少死のうとも、米国様からのオボエがめでたくなることで、ワレワレが危険にさらされる程度は低くなるはずだ」と言っていたわけだ。  こういう失言は、その場で、ただちに、厳しく追及する必要がある。

 日曜討論などを観ていると、政治家たちはあらかじめ用意してきた発言を披露するというやり方をしている。テレビの前で、演説をしたいのだ。

 そういう演説で、自分たちの党をアピールするのも、選択肢の一つとして全否定するものではないが、テレビ画面の中という衆人環視の場面で、相手をたたきつぶす、論破するというのは、アピールの効果が絶大であるだろう。

 大失言をした高村を絶句させる、口ぱくぱくの立往生をさせる、それこそ、口から泡を吹いて倒れしめる。そういうところを国民の多くに見せるべきだったと私は思う。

 野党は、上佑史浩をスカウトしてくるか、すくなくとも討論部門の顧問に迎えてテレビ討論の新時代を切り開いていく、というような気概を示す必要があるのではないだろうか。  

 野党の諸氏がつっこみを入れようとしなかった重要発言を拡散したく、とりあえず、ここに一文をおこした次第である。

 できることなら、他の方々が動画を拡散してくださればありがたいと思います。

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